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タイ旅行写真日記(2002年7月)~3~


タイ旅行写真日記(2002年7月)
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7月21日(日)
きょうは、いっしーくんの後輩、Mくんとバンコクで会うことなっている。朝、当サイトのゲストブックにSさんが「私も行きたい・・・飲茶に行きましょう」と書き込んでいたので、Siamに行く途中に電話してみたが、Sさんは今日はラフティングに行くということで不参加。でも、飲茶するのに良いところということで、World Trade Center向かいのArnoma Hotel2階の大三元という中華レストランを紹介してもらった。そこでMくんとBTS Chit Lom駅で待ち合わせした。Mくんは友だちを連れてくると行っていたが、Chit Lom駅に着いてみるとMくんを入れて4人の日本人留学生が待ってくれていた。T大学のランシット・キャンパスに、こんなに日本人留学生がいると思っていなかったので、ちょっと驚いた。去年、いっしーくんは周囲に日本人がいない環境で半年間がんばっていたことを思い出した。4人のうち3人(Mくん、Kくん、Mさん)はSIITと言って、T大学の中でも理工系で、授業を英語で行うところに留学中で、残る一人はタイ語が専門のSさんで、T大学の学部1年生として勉強しているという。
大三元の飲茶は、セットで頼むとスープを3種類のうちから1つ、メインディッシュも3種類のうちから1つ、デザートも3種類のうちから1つ選び、点心は人数に合わせて、いろいろな種類を持ってきてくれるというものだった。かなりのボリュームと思ったが、写真のKくんとSさんは強者で、僕を含めた3人が満腹信号によって箸が動かなくなっても、どんどん、がんがん、食べ続けていた。残っていた点心を食べた上に、他の3人が残したメインディッシュまで平らげていた。その見事な食べっぷりに敬意を表してお二人の食事風景を撮影した。前途ある二人のことを配慮して、プライバシー保護のため、顔の部分は加工して本人であることが分からないようにした!?(笑)


最後にデザートの杏仁豆腐を食べて、すっかり満腹になったところで、Sさんの紀伊国屋書店に行きたいという希望もあり、World Trade Centerの伊勢丹に向かうことにした。MくんにWorld Trade Centerには何があるのかと質問され、ちょっと困った。僕も紀伊国屋書店以外は、あまり来ることがないし、中の店を見ても、買いたいものがないのだ。やはり外国人向けの商品、やや高級品を扱う店が多いと思うが、実際にふつうのタイ人で、ここで買い物をする人がいるのかどうかは、僕も知りたいところだ。
紀伊国屋書店で、各自、思い思いの本探しなどをした後、Silomに向かった。平日は、車が道路を埋め尽くして大渋滞している通りなのだが、きょうは車を遮断して、歩行者天国になっている。そして、きょうはフリーマーケットのように道路に露店がならび、ところどころで、バンドの演奏やタイダンスのステージなどがあり、たくさんのタイ人が日曜日の午後を楽しんでいた。戻ってからレックに確認したところ、去年僕が日本に帰ったあと、Silomが毎週日曜日に歩行者天国になるようになったという。その日ごとに、イベントの内容は違うらしいが、とにかくタイのことだから、露店が並ぶことは間違いないだろうし、タイ人のみならず、外国人にとっても、楽しいショッピング・ゾーンになってくれる。

きょうは、Mくんの財布は全開状態。サッカーのユニフォームシャツを次々と買ったり、竹細工のコップのようなものも買っていた。買い物をするために、Sさんに値切り交渉を依頼。タイ人と間違われるほどタイ語が堪能なSさんは、タイ人のごとく値切るので、かなり始めの言い値より半分くらい安くなる。

露店のお店を一通り見終わったところで、まだ、ランシットに帰るまでにはちょっと時間があるというので、パッポンを通過してみることを提案した。Mさんは、最初、難色を示していたが(笑)、結局、向学のために行ってみることになった。まだ午後7時頃ということもあり、ゴーゴーバーは準備中のところがほとんど。屋台・露店も、まだ商品を並べている途中のところもあったが、それでも、パッポンらしく、偽物商品を売る露店が目白押しだった。
Mくんは、ここでも財布全開。ときには、Sさんに頼らず、自分で電卓を叩きながら値切り交渉して買い物していた。しかし、なぜ、あんなに何枚もサッカーのシャツを買うのだろう。興味がない者には価値がないが、興味がある人にとっては、とても価値があるということなのだろう。
パッポンを抜けると、まだ、午後7時30分頃なので、Montien Hotel前のスリウォン通りもまだ静かだった。スリウォンをタニヤ方向に歩き、途中、THE BOYS BANGKOKという看板を見ながら、タニヤ通りを通過してBTSの駅に向かった。日本人留学生の皆さんは、Victory Monument駅近くから、ランシット行きの車に乗って帰路に就いたとのこと。僕は、途中、Emporiumに寄ってからレックの家に到着。
明日は、居候仲間が早朝オーストラリアに向けて旅立つ日。そのためオールとなり、仕方ないのでHP更新をしている(笑)。実は、僕も、明日(月曜)はレックの家から都心のホテルに移動する日。午後早い時間には移動してしまいたいんだけど・・・起きれるだろうか。
7月22日(月)
居候仲間がオーストラリアのパースに行くため、午前5時頃に家を出るという。午前3時頃、4階に様子を見に上がってみると、彼は爆睡していた。僕も眠かったかが、別れも言わずに寝るわけにいかない。結局、ホームページのデータ更新をしながら過ごした。午前5時過ぎ、みんなが起き出した。僕は再度4階に上がり、居候仲間に別れを言った。不思議なことに、彼とは日本では、ほとんど会わない。いつも、このレックの家で会う。東京都内の某大学に行った仲間なのだが、卒業して以来、あまり接点がなかったのだ。バンコクが我々の再会をもたらしたってことかな。
午前6時近くになり、レックとノックさんが車で友人を空港に送って行った。僕は家で留守番・・・というか、見送ってから、玄関に放置しておいたサンダルを持って3階の部屋に行き、ちょっとだけ荷物の片づけをしてから寝た。もう7時近くだっただろうか。
12頃起床。家中静かだ。寝ているのか、出かけてしまったのか。とにかくシャワーを浴びた。家の中では物音がしない。一応、1階まで降りてみるが、人の気配なし。水を1杯飲んで、3階に戻り、メールチェックをしてから、荷造りを始めた。そんなに物を買った覚えもなく、さらに、今、ノックさんが洗濯してくれているので、随分、手元に置いてある服の量は減っているのだが、それでも、スーツケースはパンパンになっている。うーん・・・デジカメの充電器とかクレードルとか、ノートPC用のフロッピードライブとかCD-ROMドライブとか、とにかくパソコンの周辺機器が、かなりのスペースと重量を占めていると思う。なんとか、こういう周辺機器はBluetoothでもなんでも良いから統一した規格で使えるようにして欲しいものだ。そうすれば、わざわざ、日本から持って行く必要なんてないじゃないか。
しかし、そんな愚痴を言ってみても、現実に、目の前に広がっている荷物の量が減るわけではない。とにかく、荷物を詰め込んでいく。家中に物音がしないので、レックは仕事に行ったのだろう。ノックさんも出かけているのだろう・・・と勝手に思ってみる。そこで、レックの携帯にSMS(メール)で、「ARE U AT WORK NOW?」と送信。すると、すぐに電話がかかってきた。「もしもし・・・」うっ。寝ぼけた声。レックは2階の寝室で爆睡していたのだ。そろそろ僕がそろそろホテルに移動したいと言うと、向こうも僕が家にいないと思っていたみたい。とにかく3階に上がってくるという。レックは僕が明日移動すると思いこんでいたらしい。ノックさんは今日は外出中。まだ、僕の服の洗濯は途中なので、洗濯物は明日、また、取りにくることにした。レックにタクシーを呼んでもらって、都心のホテルへ・・・。
ところが、月曜日の1時過ぎのスクンビットという道は、バンコク名物の『大渋滞』の中心とも言えるもの。とにかく、レックの家から都心に行くには、このスクンビットをまっすぐ行けば良いのだけれど、全然、進まない。ちょっと行ってから気づいたのだが、たぶん、一度、下り車線に入って高速を使って都心へと上っていけば、こんな渋滞で苦しまなくて済んだだろう。結局、ホテルに着くまでに2時間以上、タクシーに乗っていることになってしまった。荷物がなければBTSスカイトレインで、すいすい行けちゃうのに・・・。残念。
やっとの思い出ホテルにチェックインできたのは3時半過ぎだった。うぅぅ~。あまりの疲れに、しばらく放心状態。しかし、これで1日が終わったのでは、あまりにも寂しい。そこで、きょうはワールドトレードセンターの映画館に行ってみることにした。ワールドトレードセンターというと、伊勢丹やショッピングのための場所という印象があるが、ここにも、映画館、ボーリング場、ゲーセンがあるし、なんとスケートリンクまであるのだ。映画は、たぶん面白くないだろうと予想していたトム・クルーズ主演のMinority Report 。つまらない感じの映画は日本で高額を支払ってみるのは、つらすぎるので、タイで見てみることに。この映画館は140バーツだった。マーブンクロン(100バーツ)の方が安いじゃんと思った。
帰りにトイレに寄って行こうとしたら、トイレ近くの空間にこんな箱が。これ、カラオケボックス・・・って本当に箱の中に入って、歌っているよ。すごい、すごい。これがホントのカラオケボックスだね。料金は不明。中に人がいるので、のぞけませんでした。それにタイ語で説明書いてあるんだろうから、入れても説明読めない可能性大。さらに、タイソングだろうから、歌えない・・・。やっぱり、タイ語やらないとイケナイね。言葉の壁で、こういう変なものに挑戦できないのが悔しい。


映画の後、7時に待ち合わせて、T氏と食事をすることになった。ちょっと待ち合わせ場所について、僕の勘違いで、バタバタしてしまい、結局、シーロムのタイ料理レストランで待ち合わせになった。そのレストランは、日本人客もかなり多くいて大混雑状況。料理を注文したのは良いが、なかなか料理が来ない。夜9時過ぎ、やっと食事終了。
ところで、今日、UA機で日本から来る友人、ドクターMと僕の関係は、高校交換留学プログラムでアメリカ留学したときの同期で、かなり長い付き合い。T氏とドクターMは、アメリカの大学院留学中に知り合った友人。そして、僕とT氏は、ドクターMを通じて知り合ったという人間関係。ドクターMを乗せた飛行機が、空港に着くのは午後11時頃。そのあと、自力でホテルまでたどりついて、そして、シーロムのソイ4にあるTというパブ・レストランに午前0時30分頃に来るという段取りになっている。とすると、あと3時間。うーん。やっぱり、カラオケかな(笑)。というわけで、T氏とまたまたカラオケに。T氏は、あーでもない、こーでもないと言ってカラオケの料金を値切ったりして、なかなか勉強になる(爆)。とにかくウィスキー飲み放題、歌い放題で、約束の時間が来るのを待った。
午前0時30分頃、約束の場所、Tに行ってみると既にドクターMは座って、フルーツを食べていた。ドクターMにしては、どうも、つつましい食事。どうしたのかと聞くと、ビジネスクラスでの食事もあまりよろしくなかったようで、ちょっと、胃の調子をみている状況だとか。とにかく、3人で再会を祝して、ビールを飲みまくる。というか、既に、ウィスキー飲み放題をやってきた僕は、かなり酔っている感じ。まぁ、でも、気分が悪いわけでもく、ただ、もうあまり飲みたくないかな、って感じ。飲んでいる途中で、店の従業員と遊んでいた一人の女性を発見。この店、ある事情から、ふつう、あまり女性がいない。しかも、この女性は日本人。閉店時刻になって、T氏がこの女性に話しかけてみると、日本の大学生だという。昨日、バンコクに着いて、これから1ヶ月、滞在するとか。荷物は友人のところに置いてもらっているが、泊まるところはハッキリしていない・・・ん?それって、どういうことなの? 誰かの家に泊めてもらっちゃうの? 泊めてくれる人、こんな感じで探しちゃったりしているの? 疑問は次々と浮かぶが、それらを追求できないまま、閉店時刻なので、お別れした。一体、あの娘はどんなバンコクでの1ヶ月を送るのだろう・・・。そんな疑問を胸に、床に就いた。
7月23日(火)
ドクターMは、とても大食い。したがって、割り勘で何か食べると、いっしょに食べる人は、必ず損をする(笑)。個別に料理を注文して食べる方法もあるが、やぱり、いろいろなタイ料理を注文して食べたいわけで、シェアして食べることになる。しかし、クーポン制の食堂だと、結構、個別に食べられるし、良いかも知れない。遅い朝食をしっかり食べたドクターMだったが、1時くらいにはすっかり空腹となり、マーブンクロンのフードセンターに行くことにした。それぞれ100バーツずつ、現金をクーポンに換えた。僕は体にやさしい中華粥に目がとまり豚肉入りの中華粥(40バーツ)を注文。すると、ドクターMも、粥に興味を持って、鶏肉の粥(35バーツ)を注文。その中に唐辛子やナンプラー、辛子入りのお酢など、適当に入れてテーブルについて食事開始。水が10バーツ。さすがに粥は熱い。が、かなり美味しかった。粥を食べ終わり満足している僕に、「まだいけるわ。これってアペタイザーよね」と言って、席を立ち、さっき見つけたフィッシュボール入りのラーメンを買ってきた。僕は、ラーメンは要らないと思ったが、くだものが食べたかったので、パイナップル、スイカ、パパイヤの盛り合わせを買った。35バーツ。しかし、かなりお腹が一杯だったので、半分くらい食べて、ドクターMにオススメしたら、ぺろっと食べてしまった。すごすぎる。

ところで、マーブンクロンに限ったわけではないが、フードセンターには学生が多い。安く食事ができて、長居しても問題ないから、友だちとおしゃべりするには、ちょうど良いのだ。日本では、マクドナルドなどのファーストフードで長時間話したりするが、タイの学生もマクドナルドに行くことは行く。ただし、マクドナルドは比較的高級な食べ物と言わざるを得ない。オシャレだから、マックに行くという感覚であって、安くて長居できるからというときには、フードセンターに行くことになるのだろう。
さて、ドクターMも満腹になったところで、帰国までの日程を決めて必要な予約をするという作業が、今日の重要な課題。なぜか、日本にいるときから、「バンコクばかりじゃつまらないから、島に行きたい」とメールで言ってきていたドクターM。事前のメールの中では、サメット島あたりが、経済的だし、1泊2日でも楽しめるので良いのではないかとオススメしたり、2泊3日ならチャーン島がきれいだというから行ってみないかとオススメしたのだが、どこから情報を集めてくるのか、クラビが高級っぽくて良いとか、やっぱりサムイが良いとか言っていた。で、結局、バンコクに着いたドクターMの照準は、すでに、サムイ島に絞られていたのだった。僕としては、経済的にはサメットが良いと思いつつも、サムイが良くないというほどの根拠もなく、一度は行ってみないと分からないから行くかと思い、サムイに絞ってツアー探しをすることにした。
シーロムにある旅行代理店をあたってみて、2件目のところが信用できそうだったので、そこで日本人担当者に相談しながらサムイ島との往復航空券(7100バーツ+250バーツ)、ホテル1泊1部屋3400バーツを2日分、手配してもらった。この代理店、シンダイという名前で、日本人駐在員の家族旅行などを中心にサポートしているらしい。僕たちが行ったのはシーロムのジュシタニのビルにある支店だが、他にも支店があり、伊勢丹に入っているのも、このシンダイだという。比較的高めのツアーが多いが、現地で、日本語が話せるガイドなどを送迎に付けたりして、付加価値をつけているようだ。結局、僕たちは日本語ガイドは要らないということで、ツアーをバラして手配してもらった。サムイの往復の飛行機がとても混雑していてが、通常のツアーではない手配方法にしてもらったので、行きは午後1時50分発、帰りは金曜日の夜9時発の飛行機で予約がOKになった。
その後、サムイから戻ってからのホテルをJCBプラザバンコクで予約してもらった。ドクターMが以前泊まった経験があるシーロム・シリンというところが、ツイン・朝食付きで1泊2,000バーツだというので、ここに決めた。ところで、ドクターMは、大学の健康保険組合からの宿泊補助費というのが1泊につき4,000円支給されるため、その証明となるように、すべてホテルの予約は自分の名義で手配した。まぁ、別に僕にはどこからも補助は出ないから良いけれど、でも、ちょっと待って。1泊2,000バーツのホテルというのは、日本円だと6,000円。これを割り勘にすると一人3,000円だから、僕はドクターMに3,000円払うのだが、ドクターMは組合から4,000円受け取る・・・ってことは、彼の懐には4,000円+3,000円が入ってきて・・・1泊するたびに、ドクターMは宿泊費を払わないどころか、1,000円ずつ儲かるという仕組みかぁ~。うぅぅ。おそるべし、ドクターM。

サムイ旅行、バンコクのホテルの手配が済んだので、またまたマーブンクロンに戻り、フェイシャルマッサージに挑戦することに。過去に、いくつかのお店を試した経験から、マーブンクロンの中にあるブロンズBronzeという店が一番良いのではないかということになり、そこで1時間のフェイシャルコースをした。フィエシャルは、されている姿を自分で見ることができないので、どれだけ手が混んだことをされているか分からないが、とにかく気持ちよく(ときどき、毛穴につまった汚れを絞りだされるようなときは、かなり痛いが)、居眠りしている間に終了した。フェイシャル終了後、お腹が空いたということになり、サイアム・スクエアにある香港ヌードルのお店に行って、結局、麺は食べずにフカヒレスープとご飯ものを食べた。
時刻は午後8時半頃。この日、僕はレックの家に洗濯物を取りに行く約束をしていたので、ドクターMを残して、レックの家に向かった。レックにはとても世話になったのでお礼を述べ、ノックさんにも「コップン・マー・カップ」。できれば27日の土曜日に、On Nutにあるロータスに買い物に来る予定だと告げたが、土曜日はノックさんは不在とのことで、今日がお別れの日。わざわざ、二人が車で、家の近くのBTS駅On Nutまで送ってくれた。
洗濯物を急いでホテルに持ち帰り、再度、外出。ドクターMと午後11時に有馬温泉で待ち合わせしていたのだ。11時ちょっと前に有馬に到着。ドクターMは、ちょっと遅れて到着。ドクターMは、全身マッサージ1時間とフットマッサージ1時間をしたいと言っていたが、タイ古式マッサージは2時間が標準。どっちかだけにしようと提案。結局、フットマッサージをすることにした。実際には45分くらいで終了。適度に痛い気持ちよさ。足は第2の心臓というが、フットマッサージをすると、なんとなく全身の血行も良くなるような感じ。
マッサージが終わると、もう日付が変わっていた。明日はサムイなので、そのままホテルに戻って就寝。
7月24日(水)
サムイ島に向かうため、12時過ぎにホテルをチェックアウトして空港に向かう。タクシーで国内線ターミナルの出発ロビー(2階)に到着。しかし、バンコクエアウェイズは1階にあった。問題なくチェックイン。特に国内線ターミナルではすることもなく、ゲートに向かう。搭乗が開始され、ゲートからバスに乗って飛行機まで移動。見ると、プロペラジェット機。以前、アメリカのローカル線で、もっと小さな飛行機に乗ったことがあるので、それに比べればかなり立派な旅客機。でも、ボーイング767や777というノリとは、かなり違う、こぢんまりとした飛行機。
さすがにプロペラが回っているので、ちょっとうるさいが、小さい飛行機のほうが軽く飛び上がるような気がする。しかし、小さな飛行機は風の影響を受けやすいし、高度も低いので、やはり揺れる。ときどき、エアーポケットに入って急降下したりする。飛行機がエアーポケットに入ると、ドクターMは「きゃー」と言って、僕の腕をつかもうとする。オイオイ。僕も急降下中だから、つかまっても無駄だよ(笑)。離陸して飛行が安定すると、スナックと飲み物サービス。前のほうの座席から順番に配っていたが、我々の座席は、最後部から3列目くらいのところ。スナックをサーブするために、乗務員がカートを押して通路をふさいでいたが、一人の白人女性が後部に向かって行きたいらしく、乗務員に目で合図。僕の席から右前方30度に、この光景を見ていた。乗務員は、この白人女性を通すために、一旦、カートを最後部の方に押して行き、その白人女性はそれについて行った。僕の右横を通過する瞬間、その女性の顔を見ると、手で口元をぐっと抑える仕草・・・ヤバイ感じ。彼女が僕の横を通過した1秒後、何か液体が勢いよくでる音が・・・。この先はご想像通り。乗務員は被害者。幸い、他の乗客に被害はなかった。この白人女性は、この後、飛行機が着陸するまでトイレから出てこなかった。プロペラの飛行機では、ときどき、こういう人がいるものだが、限界が来るまでガマンしないで、早めにトイレに行きましょう。だが、どちらにしても、着陸するまでは気分は悪いままだと思う。
飛行機が無事にサムイ島に到着し、タラップを降りると、ディズニーランドの駐車場でしか見ないような乗り物が迎えに来ていた。これで空港ターミナルまで移動。空港ターミナルも、南の島っていう感じのオープンエアーな構造。バッゲージ・クレームも、こんなにオープン。空港にはホテルの出迎えが来ていたので、そのまま迎えの車でホテルまで行った。約30分くらいでホテル到着。



サムイ島のメインのビーチは、Chaweng Beach。このビーチ沿いには、リゾートホテルが建ち並び、お土産屋やレストランなども、このビーチ沿いの通りに乱立している。サムイ島、2番目のビーチはLamai。こちらもビーチ沿いに走る通りだが、Chawengに比べて、かなり小規模。リゾートホテルはなく、お土産屋やバーなどが建ち並ぶ。ホテルにチェックインして分かったことは、僕たちのホテル、Baan Hin Saiは、この2つのビーチの中間に位置し、地形的には丘のようなところなので、海側は断崖というか岩場というか・・・そして、周囲には店がまったくないということ。移動するには、タクシーを使うか、ソンテウと呼ばれるバスというかトラックに乗り込むしか手がないという。Chaweng Beachまでは、行きが50バーツ。帰りは、夜になると100バーツ請求されるだろうという。オイオイ。島の中の孤島状態。
ホテルのロビーにいた旅行カウンターのお姉さんにレンタカーの相談。Budgetに問い合わせしたときには1台あったジープは、数分後に予約の電話を入れたら、他の客に取られていたり、AVISの車も出払っていた。すると、車は汚いが、スズキの車が1日1200バーツで借りられるという。ドクターMの頭の中では、交通費の計算が激しくされていたのだろうが、とにかく、近所にはちょっと食事するところも、屋台もないわけで、状況から、レンタカー以外の選択肢がないということになり、その車を手配してもらうことになった。電話して5分ほどで車が来た。速い。見ると、スズキの1.3Lの小さな車。マニュアル・シフト車。ドクターMはマニュアル車の運転はダメ宣言。結局、僕が運転することに。しかも、乗ってから分かったことだが、この車、サイドブレーキがまったく利かない。
4WD車のようだが、旅行カウンターのお姉さんは、4WDにするためのギアはいじるなと言っていた。


とにかく、いまさらどうしようもない。これしかないなら、これで行くのだ。結局、この2泊3日のサムイ滞在中、僕がずっと運転することとなった。(後になって、この島で生活するには、マニュアル車、そして4WDの車であることが必須であることを思い知る。)さっそく、車でChaweng Beach沿いの通りを走ってみた。そして、この島の交通事情が分かった。
ほとんどの白人観光客は、レンタル・モーターバイクを使っている。しかも、ノーヘルで、上半身裸だったりする。さらに、運転もムチャクチャ。だいたい、免許を持っているかどうかも疑わしい。だって、レンタカーを借りるときにも、ちゃんと運転免許を確認されたりしなかったのだ。モーターバイクなら、よけい、簡単に借りられるはず。そして、さらに、モーターバイクに二人乗り、三人乗りは当たり前の世界。バイクがどんどんセンターライン側から追い越しをかけてきて、車の直ぐ前に進入してきたりする。外人観光客以外でも、地元の人、女性ライダーも多数存在する。こんな無法地帯で車を運転していると、気が狂いそうになる。とにかく、一瞬でも気を抜いたら、ひいてしまいそうな状況。
ドクターMは助手席で、呑気に街の風景を楽しみながら、こんな店があるとか、ここがなんたらリゾートホテルだとか喜んでいたが、僕には景色を見ている余裕がほとんどない。とにかく、混雑した街を通り抜けて、Big Buddhaと呼ばれている大仏を見に行くことにした。




Big Buddhaは海岸沿いに建てられた高台に建っていた。Big Buddhaから見る海はおだやかで美しく見えた。
Big Buddha観光を終えて、また、Chaweng Beachの繁華街に戻った。ドクターMは、どこかで仕入れたレストランガイドブックから、Chaweng Central Resortの正面ゲート前にあるレストランに行くと決めていたようだ。レストラン近くの脇道の工事中の店先に車をとめて、レストランに入る。レストランの店先には、シーフードがディスプレイされていて、それを見て選びながら料理方法をウェイターに注文したりすることもできる。僕たちは、席に着いて、メニューから適当にタイ料理を注文。特別なことはなかったが、美味しい晩ご飯だった。

食後、せっかくCentral Resortの前まで来たので、中を見てみることにした。きれいなロビー、ロビーを抜けていくとビーチサイドのプール、そしてビーチへと続いていた。ビーチに出てみると、人影もなく、ビーチチェアが並んでいた。空には月が輝き、月光は海に反射して、幻想的な・・・まるで絵に描いたような光景が広がっていた。

Central Resortのビーチで夜景を楽しんだあと、ホテルの旅行カウンターのお姉さんオススメのマッサージ「Classic 2」に言ってみた。ここは有馬みたいに個別の仕切カーテンはない大部屋だけど、ちゃんと着替えは用意してくれたし、空調は利いていて静かだった。僕の担当の人は、上手いというほどではなかったが、ドクターM担当の人は、かなり上手かったらしい。マッサージの後は、ハーブ茶がサービスされて2時間350バーツだった。
その後、街で日焼け止めクリームとビールを購入してホテルに戻った。ホテルに戻ってからは、ビールを飲みながら、翌日の予定を考え・・・と思ったら、ドクターMは、ビールを飲んでる途中から居眠りを始めていた。
7月25日(木)
レンタカーは今日の午後5時頃に返す予定。きょうは、車を充分に使って島内観光をして、明日は、シュノーケリングができるツアーにでも参加しようという大まかな予定を立てた。


まず、無料の観光ガイドマップに出ているHinta Hinyaiに行ってみた。おじいちゃん、おばあちゃんと名付けられた岩があるという。



上の左の写真中央に突起している岩がおじいちゃん。上の右の写真がおばあちゃん。どうやらそれぞれ、男性器、女性器に似ている岩だからこの名が付いたらしいが、一応、なにやらストーリーがあるらしい。でも、それはどうでも良いかな。岩の形に、性器を重ね合わせて見ることから、それが観光地になるとは・・・。誰かがこんなこと思いついて観光地ポイントにしなければ、ただの岩場だったのだろうと思うと、人間って不思議だなぁ、と思う。
その後、滝を見に行こうというわけで、ドクターMのナビでNamuang滝に向かう。舗装道路から脇道に入り、山道を登るような状況になる。こんなところ、運転したことないけど、とりあえず、先に進んでみる。かなりのデコボコ道を進んでいくと、ちょっとした飲み物を売っている売店があり、パーキングと書いてある。かなり寂しいところ。なんだろう。ここ、ホントに観光ポイントなの? パーキングに車を置くと、子どもが寄ってきたので、駐車料金10バーツを渡す。そして、滝と書いた矢印を沿って谷のほうに向かっていくと、さっき、駐車料金を渡した子どもが、谷を駆け下りてきて、「Follow Me」という。なるほど、こうやって観光客のガイドをしてチップをもらっているんだなと思いながら、足場の悪い山道なので、おとなしく子どもについて山道を登ったり下ったりすること30分。やっと、滝らしいところに到着。ん?でも、これ、ちょっとショボイ滝だなぁ。まさか、これだけじゃないだろうと思いながらも、あまりにも暑くて、あまりにも疲れたので、ちょっと滝で足を冷やしてみたりしながら一服。
すると、後から外人カップルも到着し、彼らはさっさと滝を見て先に進んでいった。ん?まだ先があるんだ。矢印には「Bee House」と書かれている。滝から2分くらい進むと、そこから20mくらい離れたところの木の枝から、5、6個、蜂の巣がぶら下がっていた。木の枝から、扇状になった蜂の巣がぶら下がっているのは、初めて見たが・・・。でも、こんなに苦労して見に来ることはないだろう、って感じ。もしかして、これまで来た道を戻るのかと思っていたら、さらに先に進んでいく。先に進んで何か良いことがあるのか・・・。結局、また3分くらい進んだところ、広い道に出た。その道を2分くらい下ると、最初の売店・駐車場に到着。あれ? だったら、この太い道を上って行って、そこから回ったほうが、早く滝に着くんじゃないの?うーん。まぁ、それだと子どもはチップがもらえないかも知れないけど。
なんだか腑に落ちないまま、車に乗り、次の滝に向かおうとして、また山道を車で降りて、舗装道路に出た。そして、舗装道路を走りだして1分くらい行ったところで、また滝の看板。しかも、今度の看板はかなり大きい。念のため、その滝の看板の入り口から道を入っていくと、かなり観光地らしい雰囲気。なんだ、こっちが本当に行きたかった滝のようだ。車でどんどん奥に進むと大きな観光バスも駐車してあり、ますます観光地らしい。またまた駐車料金10バーツを支払った。ここの滝は、さっきの滝よりは、大きい感じ。でも、何よりも、山道を歩かずに滝のところまで行けて幸せな気分。滝を見て、ちょっと満足。お腹が空いたので、滝の近くの食堂で、食事をした。味も悪くなくて、かなり満足。

食事を終えて次の観光ポイントへ・・・って、次も滝? 結局、滝しか見る物ないわけ? 次の滝では、駐車場からすぐのところの滝は水が少なく、ほとんど滝になっていなかった。そこで、奥の滝に行こうと思い、矢印に向かって進む。すると、入場料2バーツと書いて、箱がおいてある。2バーツを入れる。入れて15メーターくらい進んだところに、滝まで2kmと書いた看板。ん? 2km? ちょっと目を疑っていると、近くの小屋にいたおばさんが、「ツーキロメーター、ワン・アワー」と教えてくれた。議論の余地なし。そのまま引き返して車に乗った。もう、最初の滝のトレッキングで、かなり衰弱していたので、片道2kmも歩く気力など残っていなかった。
次の観光ポイント。観光マップには、Best Mountain Viewと書かれたポイントがある。山の上にレストランがあるようだ。ドクターMによると、地図の白い道は舗装されているので大丈夫だという。しかし、これがまったくの推測に過ぎず、全然、ダメだということがすぐにわかった。舗装道路から路地のような道を入っていくと、どんどん道は寂しくなり、舗装どろではなく、道はデコボコ。道がナナメになっていたり、草木が生い茂ったジャングル状態。しかも、かなりの急斜面を上ったり下ったりしていて、登りではかなりの土煙を上げないと進めなくなった。正直言って、こんな道、運転したことがない。車で登れるとは思わなかったが、車は偉大なもの。途中何度も、無理なんじゃないかと思ったが、なんとか、デコボコ道を30分ほど進むと、山の上に出た。そこには駐車場もあったので、車で来る人もいるんだという安心感も出てきた。

山の上のレストランに入った。美しい景色を見ながら、ちょっと休憩。僕は運転するし、特に、こんな道を運転しているわけなので、コーラを飲んだが、ドクターMはビールを飲みながら美しい景色を満喫していた。しばらくすると、白人男性とタイ女性数人のグループが入ってきた。この人たちは、僕たちとは違う道からやってきた。もしかしたら、向こうの道のほうが安全な道かも知れない。そんなことを考えながら休憩終了。山を下りることにした。
さきほどの外人グループがやってきた方向の道を進んで行くとすぐに、別のレストランがあり、その脇の下り勾配はかなりきついように見えた。そこを通り過ぎようとしたとき、その別のレストランに「この先、キケン」との注意書きが。詳しいことは、ここで聞いて行けという。なんか、そんなこと言われちゃうとヤバイかな。そう思って、ちょっと坂をバックしてレストランに入って情報を得ようとしたが・・・。もうバックできない。斜面がきつくて、タイヤは空回り。土埃が舞い上がるが、一向に車は戻らない。サイドブレーキが利かない車なので、本当にどうしようもないが、何度かハンドルを切って、ジグザクに坂を戻ることに成功。やっとのことで、そのレストランの駐車場に入る。ここは平地になっていて、ちょっと広く、すごく幸せを感じた。
ドクターMがこのレストランに入ってきいてきたところによると、これから行こうとしている道は、かなりデコボコだという。反対側の道の方が良いという。うーん・・・そうなのかなぁ。そう言われてしまうと、そっちに行くしかないかな。しかし、それにしても、この山から無事に文明社会に戻れるのだろうか。ドクターMが4WDにしてみようかと言い出した。そう言えば、いじるなと言われて何も触っていなかったが、山道では4WDの方が良いに違いない。ちょっと、そのレストランの駐車場で、試しに4WDのローとハイをテストしてみる。4WDのローにすると、かなり地面をしっかりつかんでいる感覚が伝わってくる。これはイケルかも。というわけで、4WD走行をしていくことにした。
地図によると、山の反対側を降りていくと、途中に分岐があり、その分岐している方が、僕たちの目的地に近い方向。ちょっと山を下りるとさっそく分岐があったので、そちらに行ってみることに・・・。しかし、これが大間違い。さっきのレストランのオーナーが言っていたのは、僕たちが登って来た道を、そのまま戻るのが、一番、道としては良いということらしい。とにかく、ここで新しい道を選択したことで、さらに道は悪くなり、途中、何度か車が横転しそうなくらい傾いた。しかし、なんとか横転を避けながら、ここは道なのかどうかと疑いながら、運転し続けること1時間くらいだろうか。やっと平地に近づいてきて、山道でなくなった。何か仕事をしているらしき人影も見えるようになり、もう車は横転しそうもないことに、心底、ほっとした。しかし、まだ、地元の人の村にいるような状況で、どうやったら帰れるか分からない。T字路に遭遇。右に行くか、左に行くか。僕は直感的に左を主張。ドクターMは右だろうという。でも、僕にはどうも右は、また、山に入っていく道のように思えてならなかった。もう山道にはうんざりしていたので、車を路肩に停めて、近くにいるタイ人のおばさんのところに地図を持って聞きに行った。地図は役には立たなかった。何をどう聞いたのかもよく覚えてないのだが、左に行くとMae Namの街に出るということだけは分かった。ありがとう、おばさん。それだけ分かれば十分だよ。車をMae Nam方向に走らせると、100mほどで、大きな舗装道路に出ることができた。良かった。生還した。

今日は、滝に向かってのトレッキングや、4WDを駆使したオフロード体験に、すっかり疲れてしまった。しかし、ドクターMは山道でもジェットコースターみたいだと言いながらも、あまり心配はしていなかったようで、楽しんでいたらしい。ふだんは臆病で慎重な人なんだけど、なんで平気だったんだろう。不思議な人だ。
きょうはいろいろなことがあって、もう既に4時。レンタカーは5時に戻す予定なので、ホテルに一旦戻ることに。たまたま通りかかった旅行代理店D&Dの店先で、レンタカーのことやシュノーケリングツアーのことを聞こうとしたら、「その車、私の妹の車よ」と言われて驚いた。ホテルでは1200バーツだったが、直接貸すなら800バーツで良いという。しかも、明日の夜遅い時間まででもOKだというので、その取引に応じることにした。が、とにかく、今は、この車、ホテルの旅行カウンターから借りている形なので、一度、ホテルに返さないといけない。そこで、レンタカーを返したら、その妹がすぐにホテルに車を取りにくるので、僕たちはその妹に街まで乗せてくれと頼んで、その旅行代理店に連れて行ってもらうとうい手はずにした。作戦は成功し、結局、明日の夜7時まで700バーツで借りて、その旅行代理店に返却。そこから空港まではタクシーで300バーツということでお願いした。
シュノーケリングツアーについては、どこの旅行代理店で聞いてもほとんど同じような状況。でも、ここでKoh Pa-NganまでのボートがBig Buddhaから出ていること、片道100バーツであることなどの情報をゲット。そんなに長くシュノーケリングをしなくても良いので、明日は、朝10時30分発のボートでパンガン島に行ってみることにした。一応、念のため、Big Buddha近くの船着き場を確認に行ってみた。時刻表も再度確認。明日はパンガン島に行くことに決定した。
時刻は既に7時を回り、ドクターMは空腹であることを思い出し、きょうの夕食は、The Poppiesというところに行きたいと言いだした。これは英語のレストランガイドに出ているところで、Chawengのビーチにある雰囲気の良いレストラン。ミーハーなドクターMらしい選択だ。実は、ここはホテル内のレストランのようで、入り口を入ってから客室のような建物を縫うようにしてビーチの方に歩いていくとレストランになっていた。Kantoke Dinnerと呼ばれるタイの会席料理というか、お盆に4種類のおかずがのってくるっていう感じのディナーを注文。結局、二人で飲み物代も入れて1200バーツくらい。(大衆食堂で食べれば、二人で300バーツくらいかな)
タイとしては、かなり高いが、雰囲気はまぁまぁ良い。でも、一番良い席であるビーチサイドのテーブルは予約でいっぱいだと言われて座れなかった。(僕たちが食事を終えようとした頃には空いてきて、その頃に入ってきた客は、ビーチサイドのテーブルに座れたようだ。)帰りに、Lamai Beachに行きたいと言いだしたドクターM。Lamaiでは、自宅のインテリアになるようなものを物色していたが、気に入った木製品の値段交渉で、店主が始めの値段550バーツから450バーツにしか値引きしないために交渉決裂。(ドクターMは300バーツを主張して譲らない。)「きっとバンコクにも売っているでしょ?」とか言うので、「売っているかも知れないし、見つからないかも知れない。欲しいものは見たときに買わないと買えないかも知れない」と言っておいた。
値段を値切りながら買い物するとき、買う人はある程度の見る目が必要になると思う。その商品に対していくらなら払っても良いかということが分からないと、ちゃんとした交渉ができない。日本で買おうとすれば、450バーツでは済まないだろうし・・・400バーツには値切れたかもしれないなぁ~。
さんざん、Lamai beachを歩き回って、同じものを探したが見つからなかった。もう一度、さっきの店に戻って交渉したが、平行線。迷った挙げ句、ドクターMは他の店で探すことにしたようだった。帰りにビールを買ってホテルに戻った。今日もまた、激しい1日だった。

7月26日(金)
サムイ島最終日。帰りの飛行機は午後9時発。ということは、きょうもまる1日、観光に費やせるわけだ。ホテルの朝食を済ませ、車でBig Buddha近くにある船着き場に行った。10時頃到着。パンガン島まで片道100バーツのチケットを購入。テーブルに座って水を飲みながら船を待った。10時を過ぎると、ぞくぞくといろいろな車で乗船客が到着。白人旅行者が半分以上。残りは、現地のタイ人と僕たち日本人二人。どこに行ってもいる日本人なのに、他に日本人観光客がいないというのも不思議な気分。でも、サムイ島では、あまり日本人観光客を見ていない。Chaweng beachの繁華街あたり、夜になれば、若干、日本人観光客を見るものの、バンコクではあちこちでみかける日本人が、サムイまでは来てないようだ。
そんなことを考えているうちに船が桟橋に着き、乗客が降りてきた。パンガンからサムイに戻っていた人たちだ。乗客が降りて、すぐにパンガンに向かう乗客が桟橋を船に向かって歩き出す。この桟橋、こんな簡単で良いの?というくらいのもので、船に近づくにつれて、かなり揺れるようになり、キケンいっぱい。もちろん、手すりなんてないので、簡単に落ちることができる。開発途上国では、どこに行っても自己責任。手すりがないから落ちたと言ってクレームする文章力を養うより、少しくらい桟橋が揺れてもバランスを崩さないような平衡感覚を身につけておくべきなのだ。



船に乗って約1時間。パンガン島に到着。この船着き場の名前は、Haadrin。サムイからは、いつくか別の船着き場からパンガン島に向けたボートが出ているようで、Big BuddhaからはここHaadrinに着く。

パンガン島のメインストリート? うーん・・・もしかしたら、他の船着き場から着くと、また、別の繁華街があるのかも。しかし、僕たちが見た範囲では、このあたりが一番賑わっていた。ビーチサイドには、バンガローが建ち並び、白人旅行者が泊まっている姿がたくさん確認できた。


ビーチの木陰を見つけ、ニベアの日焼け止めローション(SPF50)を入念に体中に塗ってみた。せっかくビーチに来たのだから、ちょっとくらい海に入ってみたいわけだが、こんなに紫外線が強い世界。そのまま入ったら、全身やけど状態になってしまいそう。というわけで、サムイ到着の日に買ったニベアの日焼け止めローションを塗って、ドクターMと交代荷物番をしながら海に入った。このビーチの海は、あまり透明度は高くなく、濁っていたので、何も見えなかった。珊瑚礁もない。うーん・・・海に入ったのは良いけれど、珊瑚礁もみたいなぁ。
そこで、ビーチでの水遊びは早々に切り上げて、またメインストリートに戻った。メインストリートには、ボート・タクシーの客引きがたくさんいた。ドクターMは得意の英語で、怪しげなおじさんに珊瑚礁に行きたいと言って交渉。おじさんは、たぶん、ドクターMの言っていることを理解しておらず、それでも50バーツと値段を言っていた。ドクターMは交渉成立という雰囲気で、うんと頷いておじさんについて歩き出した。かなりあやしいコミュニケーションだと思ったが、それでも、ちょっとボートに乗って島の周りを見たかったので、僕も黙ってついていった。
おじさんの案内で、さっきのビーチに、たくさん並んでいる船の中の一つに乗せられた。他の船より、一回り大きく、しっかりできている感じ。でも、おじさんは、ちょっと待てという仕草をして、また客引きに行ってしまった。オイオイ。これ、ボートタクシーじゃないの? たくさんのお客さん乗せるなら、バスじゃないの? そう思いながらもなんとなく10分ほど待っていると、バタバタと白人観光客とアジア人の乗客が乗ってきた。ボートタクシーのおじさんの仲間らしい若いお兄さんも一緒に乗って、船は出発した。
このボートタクシーは、パンガン島の離れたビーチを結ぶ乗り物で、だいたい長い1区間で50バーツという明朗会計(?)らしい。



結局、3つめのビーチあたりまで行ってみたが、珊瑚礁らしいものは見られなかった。それでも、パンガン島の美しい自然や、それぞれのビーチにはバンガローがあったり、何もなかったりと、パンガン島の作りが少しわかったような気がしたので、今日のところは、これで満足ってことにした。若いお兄さんのほうが英語がちょっとできるので、「Go back to Haadrin?」というので、「チャイカップ。クラップ・バーン」と言ったら、お兄さんも「クラップ・バーン!」と言った。

Haadrinの船着き場まで戻ってきたところで、帰りの船がでる2時半まで40分以上時間があったため、ちょっと食事をすることにした。料理を2種類くらい頼んでご飯を注文。もちろん、シンハービールも注文した。食べ終わったときは出発まで後10分くらいになっていた。ちょっと急いで船着き場に行ったが、別に慌てる必要もなく、他の乗客も、まだノンビリと飲み物を飲んだりして乗船開始を待っていた。

僕たちのパンガン島ツアーは無事に(?)終了して、午後3時30分頃には、Big Buddhaの船着き場に戻ってきた。ホテルはレイトチェックアウトにしてあるが、荷造りもしなくてはならないし、ドクターMは、ホテルのプールに入りたいというので、まっすぐホテルに戻ってきた。僕は、わざわざ小さなプールに入らなくても良いと思ってパスしたのだが、ドクターMはホテルにある無料の施設・設備は全部使ってみないと気が済まない性分なのだ。「元をとる」というのが彼のポリシーだ。十分元を取っていると思われるときでも、最後まで絞り取ることが、彼にとってはゲーム感覚があり、喜びのようだ。僕は先に部屋でメールチェックをして、それから荷造りを始めた。
荷造りを済ませて午後6時にチェックアウトした。レンタカーにちょっとガソリンを給油して、それから車を借りた旅行代理店D&Dに行き、車はまだ返さずに荷物だけを預かってもらって、Chaweng Beachに行った。マクドナルドの裏側が駐車場になっているので、そこに車を停めて、ドクターMはひたすら歩き出した。Chawengには食事に来たはずが、実は、昨日、Lamaiで見た木製品を探して歩いていたのだ。車で走行中、街の中で見た雑貨屋みたいなところを目指して、彼はひたすら進んでいったが、時間がなくなるから戻ろうと諭し、結局、また15分くらいマクドナルドまで歩き、Chawengでは何もせずにD&Dに戻った。
D&Dから空港まで送ってもらい、チェックインを済ませた後、空港真ん前にある食堂に入った。見た目は、ぱっとしないし、空港前という立地から、あまり期待しなかったが、なかなか美味しい料理だった。しかも安い。僕は、The Poppiesなんかより、こういうところの方が、ずっと好きだと思ったりした(笑)。
飛行機は定刻にサムイ島を出発。無事にバンコクに到着。日本に発つまでの時間は、あと30時間ちょっとというところ。例によって、シーロムのソイ4に突入した。
7月27日(土)~28日(日)
土曜日はバ?

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タイ旅行写真日記(2002年7月)
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7月14日(日)
今日、週末だけ共に居候していた友人がクアラルンプールに戻って行った。バンコクとマレーシアは飛行機も毎日必ず飛んでいるし、隣国なので、ちょっと週末にバンコクに来るということが可能なのだ。以前、2度ほどマレーシアに行ったことがあるけれど、7月にクアラルンプールに行ったときには灼熱の太陽の下で倒れそうな感じだったし、2月に友人宅に行ったときには、暑さはそれほどじゃなかったけれど、特にすることもなかった。自然はたくさんあるし、マレーシアなりの楽しみ方はあるのかも知れないが、僕はゴルフもしないし、ビーチリゾートで遊ぶってこともないので、結局、マレーシアに行っても中華料理を食べたりすることなってしまう。しかし、クアラルンプールの空港は大きい。ちょっと大き過ぎるのではないかと思ってしまうのは僕だけだろうか。
友人が空港に向かった後、このホームページからもリンクしているギィさんに電話して、今日会うことに。7時にアソーク駅で待ち合わせ。何を食べようかと迷って最初に行ったお目当ての韓国料理屋は締まっていた。次に、アラブ系の料理を探そうということになり、アンバサダーホテル近くを歩いているうちに、大粒の雨が。そういえば、最近雨降らないなぁ、と今日噂したばかり。やっぱり降ったかって感じ。雨宿りしながら、周囲をキョロキョロ見渡すと、Lebanese Restaurantという看板を発見。この際、雨が降っているし、そこに駆け込んでみた。

メニューを見てみるが、なんだかさっぱり分からない。初めてのレバノン料理。そこで、ウェイトレスのお姉さんに何がお薦めかを聞いてみた。肉料理はともかく、なんだか分からないものもあるが、結局、お薦めにしたがって注文した。ビアシン(シンハービール)を飲みながら少し待っていると、一気に料理が運ばれてきた。写真右は、赤と黄色のお米がとってもきれいなチャーハン?かな。左の大皿は、ケバブなど肉料理の盛り合わせ。そして、中央上の白い物体は、スプレッドというか、パンのようなものに付けて食べるのだが、なんだか不明ながらも結構美味しい。もうちょっとレバノン料理を研究してから再度挑戦してみるのも面白そうだ。レバノン料理、二人でお腹いっぱい食べてビール大瓶2本で約800バーツ+Tip。日本と比較するのはナンセンスだと分かっていても、日本円に換算すると、日本でこれだけ飲み食いしたら一人分でも、これを越えるだろうなぁと考えてしまう。
ところで、この店の向かい側に日本人向けクラブがあった。レストランの正面がガラス張りなため、向かいの店先が良く見える。ここはちょっと路地に入っているのだが、こんなところにも日本人向けクラブがあるのだなぁ、と少し感心?した。
食事も終わったので、ちょっと飲みに出かけてみることにした。でも、ギィさんはこの日、日本から戻ったばかりでお疲れだったのか、あまり楽しめなかったようだ。ギィさんは睡魔に襲われてきたので、お開きとなった。おつかれさま。
レックの家にもどってみると、居候仲間が、プレステ2で遊んでいた。そうそう。今日、プレステ2を買ってきたのだった。あまり大きな声では言えないが、このプレステ2は特別仕様。これを、オーストラリアの妹の子どもへのお土産にすると言って買ったのだったが、どうやら、本人が一番楽しんでいるような気がする。友人がプレステ2でサッカーをしている様子を見ながら、僕も意識が遠のいていったので、今日はここで終了。
7月15日(月)
タイに来る前にひいていた風邪なのか、タイにきてタイの風邪をひいたのか、どうも今日は朝から調子が悪い。そう言えば、昨日も咳がひどくなっていて不調だったような気もする。でも、まぁ、気にしないようにしよう。
今日も、何の予定もなし。かなり暑いが、何か外に出る理由を見つけて外にでないとゴロゴロしたまま帰国の日が来てしまう。そこで、探している本があるので、本屋を見に行くことにした。まず、エンポリアム内の紀伊国屋書店とアジアブックスを見てみる。紀伊国屋書店はかなり大きな書店で、洋書がかなりある。またアジアブックスも、まぁまぁの書店なのだが、紀伊国屋書店よりは小さく、なぜか日本人の若者カップルが旅行ガイドブックのコーナーで、長い時間、世間話をしていた。結局、どちらの書店でも、探している本は見つからなかった。

そこで、BTSでシーロムに移動した。22日、日本から友人が来る予定で、彼はシーロムあたりに泊まりたいらしいので、JCBプラザ・バンコクのオフィスに行って、いろいろと料金を聞いてみた。JCBプラザというのは、世界の主要都市にあって、そこに来るJCBカード会員の観光のお手伝いをしてくれるので、いろいろと便利なのだが、やはりカード会社なのであまり安いところは扱っていないみたい。でも、その友人にはちょうど良いくらいの価格帯かな。調べた価格は、家に戻ってからメールでご報告。
せっかくシーロムまで行ったので、やっぱり有馬温泉。前回はちょっとハズレだったので、今回は去年、何度もご指名しちゃったヌンハーシーのナンちゃんはいるのかと聞いてみた。1年も経てば辞めているかも知れない。しかし、いるとかいないとかは分からないが、『ヌンハーシー・マイ・マー』と言われた。マイ・マーだから「来てない」つまり「休み」ということみたいだ。そこで、腕のいい人をお願いと言ってみた。あまり期待していなくても、そう言った方がハズレの確率が減るかも。今日は、ヌン・スーン・ソーンだったが、かなりの腕前。今回の旅行中、ナンバーワンかも。ヌン・ハー・シーがダメなときは、ヌン・スーン・ソーンだな、などと思った(笑)。
有馬温泉からBTSサラデーン駅に行く途中に、居酒屋に寄って晩ご飯を食べた。居酒屋『よってけ』は、あまり飾らない居酒屋だけど、食事のメニューも豊富で、アットホームなお店。去年、ときどき、ここに来ては、ご飯を食べたり、日本酒を飲んだりした。今日は、ビールを飲みながら、カツ丼を食べた。カツ丼は110バーツ。タイのご飯に比べれば、ちょっと高いけど、怪しい日本食屋に行くよりは、ここで食べた方が安心。ここは奥まったところにあるので、タイに長く住んでいる日本人しか来ないみたいだ。

レックの家に帰ろうとBTSに乗ったが、やはり本が気になると思って、チットロムで下車。ワールドトレードセンターというか伊勢丹の中にある紀伊国屋書店も見てみることにした。チットロムの駅からゲイソン・プラザまで橋でつながっていた。そう言えば去年来たときは、ゲイソンプラザは工事中で営業していなかった。やっとオープンしたのかと中に入ってみると、まだ営業しているテナントは半分以下。ほとんどのスペースには、『Coming Soon』と書かれているだけで、中は白い空間って感じだった。

ところで、今日は夕方から雨のようで、さっき、有馬温泉から出たときには、もう雨がかなり降った後のようだった。それでも、まだ降り続いていて、珍しくやまない雨だ。ゲイソン・プラザからワールドトレードセンター側に渡る歩道橋から道路を眺めると、いつもより、渋滞がきれいに見えた。


この紀伊国屋書店は、タイ語と日本語の書籍が多かったが、英語の本は少なく、やっぱり探している本は見つからなかった。仕方ないので、きょうは、これで帰ることにした。家に着いたら、レックももう一人の居候もゲームをしていた。しばらくして僕もちょっとだけゲームを始めた。そのちょっとだけのつもりが、結局、午前2時過ぎまでやってしまい、僕にゲームをやるように薦めた他の二人は、いつのまにか寝ていた(笑)。今日は・・・うーん・・・結局、マッサージの日だったんだろうか。
7月16日(火)
今日、昼間はずっと家にいた。午後、4階の居候部屋に行くとプレステ2でゲームしていた。Winning Elevenというサッカーゲームだ。僕はサッカーゲームの操作は知らないので、結局、昨日もやり続けてしまったTime Crisis 2を続行。昨夜はステージ2クリアまで行ったので、まず、トライアルでステージ3をやってみると案外イケそうな感じ。問題は、ストーリーモードでステージ1から通して3までをクリアするということだが・・・。1度やってみたが、途中でゲームオーバー。ちょっとやる気が失せていたが、ゲームオプションの設定を見てみたら、クレジットが貯まっているとかで、ライフを4から9に増やすことができた。今までの2倍以上の延命。これならできるかも。そう思って挑戦したら、ホントにステージ3まで一気にクリア。しかし、期待していたステージ3の後の隠れステージはなく、あっさりと終わってしまって、かなり寂しい感じ。とにかく、このゲーム、本当はガンコン(拳銃の形をした専用コントローラー)が必要。ふつうのコントロールパッドでやっていたので、かなり指が痛い。これ以上やると腱鞘炎になりそうなので、ゲームはやめた。

そう思った矢先、レックが仕事から帰ってきてウダウダはなしているうちに、IT Mallに行くことになった。ラチャダーのFortune HotelとLotusというスーパーに挟まれているというか、それに駐車場を加えた巨大複合ビルになっているというか、そんなところにIT Mallというものがある。

見た目は秋葉原にある雑居ビルみたいな感じだろうか。でも、土地はあるので、通路など、かなり広々としている。パソコンの販売店、なんだか分からないけど、腕時計とか、PDAとか、中古でいろいろ売っているお店、携帯電話屋などが多いが、中には日本語学校が教室を開いていたり、ヘアーサロンがあったりするのが、なんともタイ的な雑多さかも知れない。

携帯電話屋もしもし。うーん。誰がこの名前を付けたのだろうか。タイでは日本語がブームなので、日本で英語の店名を付けたりするような感覚で、こんな名前の店ができたってことだろう。おせんべい『どうぞ』と同じくらい、あやしいかも。
結局、IT Mallでは友人がプレステ2用ソフトを10枚ほど買った。1枚80バーツ。200円ちょっとという感じだろうか。どうして安いかはご想像通り。だから、マニュアルはないし、CD-Rの不良品も多いようだ。プレステ1用のソフトは価格競争が激化して50バーツくらい(140円くらい?)になっていたらしいが、最近はプレステ2のソフトが主流になりつつあるという。プレステ1の所有者の数のほうが多いと思うのだが、プレステ2ソフトの方がたぶん新規購入が多いのだろう。
帰りに、ここのフードセンターで食事をして帰宅。今日は僕としては、ほとんど何もしていないかも。あっ、でも、Time Crisis 2をクリアしたからなんだか達成感がある。
7月17日(水)
きょうは久々の早起きをした。午前6時50分起床。8時前には家を出た。7月9日に会ったSさんとAさんは、タイの大学で日本語の先生をしている。今日は、Aさんが教えている2年生のクラスに日本人ゲストとして招かれているのだ。授業は午前11時からなのだけれど、Aさんが教えているキャンパスはランシットというところにあり、バンコクから高速道路を使って1時間くらいの場所。しかし、通常の交通手段だと、行くのが面倒・・・というか、僕にはよく分からないので、タープラチャンにあるキャンパスとランシットのキャンパスを結んでいるシャトルバスに乗るために、まずはタープラチャンのキャンパスに行く。前日、レックに言われた508番のバスに乗ろうと、近所のバス停で30分ほど待っていたが、ついに508番は現れず。511番が頻繁に来るが、これが思ったところまで行くかどうか不明なため、あきらめて、タクシーで近くのBTS駅まで。National Stadium駅で降りて、そこからタクシー。このコース、経済的にはあまり良くないけど、かなり早かった。結局、45分くらいで到着した。
タープラチャン・キャンパスでは、まず、ギィさんと合流。そして、Sさんのところに日本から遊びに来ているRさんにも会って、3人でシャトルバスでランシット・キャンパスに向かった。バスが思った時間より30分遅れて発車したので、11時5分くらいに到着。ちょっと授業に遅刻したが、なんとか間に合ったと言えるかな、タイだから。

日本人ゲストを呼んだこの日、学生たちは5つのグループに分かれて、それぞれタイに関するトピックを選んで、それを日本人ゲストである我々に向けて発表してくれるという形式だった。テーマは、タイの遊び、タイの人形、タイの果物、タイのお菓子、BTS沿線の観光スポットだった。始まりが遅れたこともあり(申し訳ない)、5つのグループが発表するということもあり、果物やお菓子の発表のときは、現物が出てきて食べたりしていたので時間がかかったり・・・ということで、日本人ゲストとしては、学生の発表を聞いてちょっと質問するだけで時間がきてしまった。発表は面白かったのだけど、日本人ゲストが楽しむことは別として、たくさんの日本人が集まったので、学生がふつうの日本人との日本語会話を体験する時間が取れると、もっと学生のためになったかな、と遅刻したことを反省しながら思った。

それでも、ちょうど授業の後はお昼だったので、数人の学生は日本人ゲストと交流したのではないかと思う。というのも、Rさんと僕は授業が終わるとすぐにSさんと合流して、アユタヤ観光の旅に出たので、その後のことは分からない。
アユタヤには、ランシット・キャンパスの鉄道の駅(Chiang Rak)からディーゼル機関車っぽいのに乗った。鉄道マニアではないので、よくわからないがエンジン音が聞こえたのでディーゼルかな、と。社内のプレートに、KAWASAKI 1985とあったので、日本から持ってきたものだろう。ちょうど車掌が乗っている隣のボックス席に陣取ったのだが、この車掌、完全にリラックスしていて、靴は脱ぎ捨てサンダルをはき、走行中は足を投げ出しながら新聞を読んでいた。



アユタヤ観光の詳細については、別のページを作成することにするが、ちょうど2時頃に着いたアユタヤは非常に暑かった。この日、バンコクにいてもかなり暑かったらしいが、そんな猛暑の中をサムローに乗って移動しては寺を見たり遺跡をみたりを繰り返し、3人ともかなり衰弱していた。しかし、SさんとRさんの二人は長年の付き合いらしく、遠慮ない言葉のバトルが続いていて、衰弱しながらも笑わせられて楽しい観光ができた。




観光を終えて駅に着くと、バンコク行きの列車まで1時間以上あると言う。そこで急遽、バスでバンコクに向かうことにして、また駅からサムローに乗り、バスターミナルに移動。バンコク行きバス(1人41バーツ)に乗って一路バンコクへ。途中、猛暑の中での観光の疲れからか爆睡してしまったが、気づくと外は雨。やはり今日は湿度が高く、よけい暑く感じたのだと納得。バスはやがてバンコクに着いたが、どこにいるかわからず。タクシーに乗り僕は近くのBTS駅(Saphan Khwai)からBTSに乗って帰宅。長い1日だった。
7月18日(木)
昨日の疲れからか、なんだか風邪っぽいというか、怠いというか。今日は夜、T氏と会って食事して、ちょっと飲みに行ったが、これと言って文化的な(?)イベントはなかった。だからと言って何も書かないと日記にならないので、タイの洗濯もののお話をしてみよう。
居候でいながら、僕はノックさんに洗濯をお任せしてしまっている。最初、僕は自分で洗おうかと思ったが、洗濯ルームは、やはり彼女のテリトリーで、勝手に洗濯するような状況ではなかった。僕の部屋には、洗濯もの入れのバスケットが置かれていて、とにかく洗濯物はそこに入れておくと、いつのまにか回収されて洗濯されるという、すばらしいシステムになってしまった。
そこで思うのが、タイ人は必ず服にはアイロンをかける。ポロシャツでもTシャツでも、ジーパンでも、なんでも、とにかくアイロンをかけないなんて洗濯じゃないくらいの勢いなのだ。当然、僕のシャツやパンツもアイロンがかかって戻ってくる。こんなに手間をかけさせてしまって申し訳ないが、タイの女性は黙々と家事をこなす。これが当然と考えているのだろうけれど、タイの男性はうらやましい。

7月19日(金)
今日の午後は、来週から東京の友人が6泊の予定でバンコクに来るので、その手配を頼むためにJCBプラザバンコクに行った。と言っても、最初の1泊分だけを確保するってことで、その後の予定は来てから決めるというフレキシブルな旅だ。彼はどうやら島に行きたいらしい。サメット、チャーンに行った人がいたとメールで話したのが、火を付けてしまったようだ。うーん。チャーン島は、ちょっと遠いらしいが、かなりきれいだという噂。僕も行きたいことは行きたいが・・・男二人でビーチリゾートかなぁ~
そのJCBプラザバンコクはシーロムにあるのだが、ついでにシーロム・コンプレックスにある『8番らーめん』に入ってみた。

味噌ラーメンを注文。麺はかなり太く、茹で加減もイマイチのような気がするが、まずくはないラーメンってところかな。8と数字が描かれたナルトがなんともおかしかった。ついでに餃子も注文してみたが、こちらもまぁまぁかな。日本の高級インスタントラーメンと冷凍餃子くらいのレベルかも知れないが、それなりに美味しくいただけるという感想。それにしても、この8番らーめん、タイの中・高校生に絶大な人気があるようで、僕が行った午後5時頃も、女子学生のグループが目立った。
JCBプラザでホテルの手配をしたあと、またまた有馬温泉で体をほぐした。去年、何度か指名したナンちゃんもまだ働いていたので、指名した。去年、かなり日本語が上手いと思ったが、今年は去年と同じレベル。やはりマッサージをしながら客とかわす日本語会話は限定的なものなのだろう。ナンちゃんは知らない表現を聞いても、なんとなく意味を推測するという語学的センスは高いが、自分が話す能力のほうは、ちょっと怪しげな日本語・・・うーん・・・僕のタイ語と似たようなあやしさかも。
ひさびさにナンちゃんにマッサージされて、その後、うろうろしながら帰宅した。
7月20日(土)
きょうは先週の土曜日にもお呼ばれしたカセサート大学のニヤーダ先生のお宅におじゃまする予定。その前にどこかに行こうかとも考えたが、なんとかく家にいたら約束の時間になった。というか、起きるのが11時過ぎと遅く、例によって、朝食後、ゲームをしてしまったことが、この結果を招いたのだった。
午後4時30分、BTS Ekkamai駅でニヤーダ先生の娘さんMukさんと待ち合わせてニヤーダ先生のご主人の車を待つことに。Mukさんは、ソーソートーで開催されたJapanese Fairに行って来た帰りだという。ソーソートーで、たこやきを食べたり、宝のチューハイを飲んだりしたので、すっかりお腹がいっぱいだと言っていた。晩ご飯、食べられるのだろうか。しかし、きょうは、かなりの蒸し暑さ。おまけに、ニヤーダさんのご主人の車が渋滞に巻き込まれていて、到着が5時頃になった。既に、かなりの疲労度。きょうは、まだ何もしていないのに。
ニヤーダ先生のお宅に到着。しばらくお話をしていたが、近所の散歩に行くようにと薦められてMukさんと散歩。どうやら、Mukさん、たこやきがこたえたらしく、全然お腹が空かないと言って遠出することにしたらくし、かなり歩いたところにあるJUSCOに行った。そう、あのイーオン・グループのJUSCOはタイに進出していて、バンコク市内でもいくつか店舗展開している。この日来たJUSCOは、それほど大きな店舗ではないが、日本食の食材やお総菜なども並んでいた。

JUSCOが入っているショッピング・モールには、ツタヤもあった。CCCのツタヤもタイに進出しており、バンコクはもとより、郊外でもツタヤを見かける。思い切り田舎に行ってもあるかどうかは、確認していないので不明。

長い散歩から汗だくでニヤーダ先生宅に着くと、すぐに食事。どうやらMukさんは、なぜもっと早く戻って来なかったのかと言って叱られている様子。不思議なのは、Mukさんはものすごい秀才で、18歳にしてTOEFL650を取っているので、英語がかなり自然。しかも、この家庭では、家でも英語を使うことを奨励しているようで、親に対して英語を話したりしている。タイ語で話しているときは、とてもタイの女の子らしく「カー」と言いながら(笑)、つつましく聞こえるMukさんなのだが、英語で話しているときは、まったくアメリカの10代の子どものように親に言い返したりする。Mukさんは、英語を習得すると同時に、英語圏の子どもたちの親への態度まで身につけてしまったのかも知れない。
ニヤーダ先生の家のお手伝いさんが作ってくれたタイの伝統的料理を美味しくいただいたあと、ニヤーダ先生の書斎に行って、ニヤーダ先生の業績や現在の役職などについてうかがった。が、申し訳ないことに、僕は仏教学には何の知識もなく、また、タイ文学についても、まだこれから勉強しようとしているところなので、どうにも詳しい話は分からない。しかし、とにかく偉い先生なのだということは分かった。
いろいろとお話をうかがった後、午後9時前にニヤーダ先生はまだ仕事が残っているということで、ニヤーダ先生のご主人とMukさんにレックの家まで送っていただいた。貴重なお時間をいただき、感謝である。
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7月7日(日)
出発の日 成田空港には午後4時くらいに着いた。ユナイテッド航空カウンターの入り口では、まず、チェックインする(航空会社に預ける)荷物の検査。かなり念入りにX線で中身を見て、何やら四角い缶が入っているので、中を見せてくれと言われた。四角い缶?爆弾の疑いをかけられたのか。でも、検査されているのは僕だけでなく、次々と、その近くに設置してある荷物調べの台の上にスーツケースが移動され、そこでスーツケースの中をかき回されるのだ。これも9.11以来のテロ対策なのだろう。仕方ないことだ。それにユナイテッドの職員は、セキュリティのところにいた女性を除けば、ほとんどが好感接客。昔と比べてかなり好感度アップしている。マイレージプラスさえあれば客が来るってわけじゃないことを悟ったのだろう。

ユナイテッドのセキュリティ対策は、かなり徹底していた。出国する者は、全員、まず手荷物のX線検査を受けるのだが、そのとき搭乗券を確認する。これはユナイテッドに限ったことではないが、この後、出国手続きでパスポートを確認され、スタンプを押してもらって、搭乗ゲートに向かう。ゲートで待っていると出発時刻の45分前から搭乗が始まったのだが、ユナイテッドは、搭乗の際にパスポートのチェックを行っていた。さらに、どういう基準で選んでいるか分からないが、何人かの人たちが、ジェットウェイの入り口のところで荷物検査をされたり、靴を脱がされて検査されていた。
ユナイテッドのセキュリティ対策は、これで終わらない。飛行機に何度か乗っている人には、見飽きていると思われる緊急時の説明。離陸前に、シートベルトの使い方、救命胴衣の付け方、酸素マスクの使用法などを説明するのだが、最近では、多くの航空会社は専用のビデオを流して、乗客に見せている。ところが、今日のユナイテッドでは、昔やっていたように乗務員が通路に立って、一つひとつの動作をていねいにやってみせていた。最近、飛行機に乗ると、この部分は航空会社側も乗客側も、かなりおざなりな雰囲気がただよっていたのだが、ユナイテッドがこのようにして真剣に説明する姿を見ると、この知識は使いたくないが、いつでも使えるようにしておかないものなのだな、と緊急時が起こり得ることをあらためて認識させてくれた。
もう一つ驚いたのは、ふつう大型旅客機は、ファースト、ビジネス、エコノミーという3つの客席のクラスがあり、食事のときには、この客席エリアを区切っているカーテンを閉めるのだが、ユナイテッドはこのカーテンは使用しなかった。機内の見通しを良くして犯罪を未然に防ごうということなのだろう。離着陸の際に機内の照明を消灯するというのも、以前、これほど徹底して行われていた記憶がない。ユナイテッドはあの事件以来、セキュリティ面でも接客面でも、あるいは経営的な側面でも、いろいろな見直しを迫られたに違いない。

ところで、今回のUA875便は、それほど混雑していなかった。たぶん70%くらいの搭乗率。僕は32H。2列の席だったが、となりは空席だったため、比較的、のんびりできた。しかし、ユナイテッドはアメリカ人の標準体型に合わせて設計されているので、座面の部分が高く、ふつうに座ると、ももの裏の血管を圧迫して血行不良になる。僕は途中から、2席を使って、足を延ばしたり、あぐらをかいたりできたが、100%の搭乗率のときには、エコノミー症候群になること必至だと感じた。
ドンムアン空港に到着すると入国審査も空いていた。午後11時。この時間に到着の飛行機が少ないのか、あるいはこれから到着するのか、とにかく入国管理官の数は多かったのに入国者が少ない。約5分で入国手続きを済ませて、チェックインしていた荷物を受け取り、到着ロビーに出た。到着ロビーでは友人のレックが迎えに来てくれているはずだったが、姿が見えない。公衆電話を探してレックの携帯に電話してみたら、あと3分で着くという。きっとタイ人の3分だろうと思っていたら、本当に5分くらいで到着したのでビックリした。
レックの車でバンコク市内のレックの家に向かった。日曜の深夜、道路は空いてはいたが、空港から街へ向かう車は、少なからずあって、みんなかなりとばしていた。レックの家に着くと犬が2匹出迎えてくれた。一匹は知っている。ビーという白地に黒の斑点がある犬。そして・・・もう一匹は新入り。真っ黒なムッ(黒という意味)という若い犬。どっちも、ご主人様であるレックを出迎えていた。そして、家では、レックさんの奥さんであるノックさんに出迎えられた。タイ語で話しかけられ、動揺していると、「タイ語は忘れちゃったの?」(通訳レック)と言われた。「忘れました。というか、最初からあまり覚えてないけど。」と言ったら、かなりウケた。

レックの家は4階建て。で、僕はその4階に居候することになった。4階はかなり広い。広い部屋を一人で使わせてくれているのはうれしいのだけど、貧乏性な僕は、なんか落ち着かないかも。広いと、動かなくてはならない距離も増えるし・・・まぁ、運動不足解消になるかな。
11ヶ月ぶりに来たバンコク。明日から何をするんだろう・・・そう思いながら、4階ペントハウスで就寝。
7月8日(月)
昨夜は午前2時過ぎに就寝したというのに、寝床が変わったせいか、朝、7時くらいから目が覚めた。それでも、まだ早いのでゴロゴロしていたのだけれど、目が覚めてしまったのではしょうがない・・・ということで、起きてシャワーを浴びた。
3階のトイレには、いわゆる瞬間湯沸かし器が付いていて、蛇口をひねると自動で電源が入り、ガスも点火されてお湯が出てくるシャワーがある。このシャワーは、便器のすぐ横にあるので、シャワーを浴びると便器はびしょびしょ。それどころか、トイレ中、水しぶきが飛び散るのだけれど、まぁ、しょうがないというか、こういうものなんだろう。
ところで、僕は髪に青を入れている。つまり、カラーマニキュアをしているのだけれど、シャワーでお湯を頭にかけると、その青が面白いほどおちてくる。そう言えば、去年もそうだったのだが、タイの水はカラーマニキュアを溶かして落としてしまう力(?)がある。せっかく入れた青なのに。しかし、相手が水道の水ではしょうがない。そういうところなんだと思うしかないが、一体、水道の水に何が入っているというのか、ちょっと気になる。
午後から、ちょっと買い物に出た。レックが買い物に付き合ってくれるというので、車で出かけた。目的地はマーブンクローン(MBK)とパンティップ・プラザ。まずは、マーブンクローン。やっぱり、バンコクの中心地ともなると、かなり車が多い。なんとかマーブンクローンにたどり着いて、車を駐車場に停めた。駐車と言えば、バンコクの駐車場では、よく二重駐車というか、駐車場の車の前に車が停まっていたりする。自分の車に戻ったら、知らない車が自分の車の前にあった、なんてことは良くあること。そんなときは、慌てず、騒がず。係員がいれば、自分の車を指さして、駐車場から出るという意志を示そう。きっと、彼は前に停まっている車を、手で押して動かしてくれる。もしも誰もいなければ、自分で押してみよう。この車、ふつう、パーキングブレーキなし、ギアはニュートラルで置いてあるので、押せば動きだすのだ。ただ、押しすぎて他の車にぶつけないように注意しましょう。
話を買い物に戻そう。マーブンクローンでは、携帯電話のSIMカードを購入。プリペイド式電話の電話番号が書かれているのがSIMカードで、これをGSM携帯電話に入れることで、その携帯電話が使えるようになる。それに、チャージカードと言って、先払いで通話料を支払えるものがある。今回は、DPromptがプロモーション中で、SIMカードと1600バーツ分の使用料が付いて、なんと800バーツ。商品には850バーツと書かれていたが、レックが値切ってくれた。タイ人はとりあえず値切ってみるようで、そうやって会話を楽しんでいるようにも見える。とにかく、これで携帯電話が使えるようになった。
次に、インターネットを使えるようにするために、インターネットのプリペイドカードを買いに、パンティップまで。またまた渋滞したり、駐車スペース探ししたりしながら、無事に到着。駐車場からパンティップに入ったら、アダルトコンテンツのVCDを売っているお店があった。呼び込みが激しく、どうやら日本人とバレた僕は、手をつかまれて引っ張られるほど。よっぽど日本人がエッチなVCDを買って帰るんだろう。僕は要らないと言いながら逃げた。

さて、探しているインターネットプロバイダーのプリペイドだけど、これにもいろいろな種類がある。今回は、レックさんを付き合わせているので、手早く買い物。以前買ったことがある店に入り、前に買ったことがあるInetEasyというプロバイダーの55時間分のものを400バーツで購入。うーん。安いのか高いのか。まぁ、とにかく、これがあるとメールチェックできるし、インターネットカフェよりは安くなるので購入。ちなみに、55時間よりも長いものも短いものもある。
買い物を終えて、パンティップのフードコーナーでバミーナームを食べていると、レックの携帯電話がなった。日本の共通の友人からの電話。「あぁ、ひさしぶり~。今度、いつバンコクに来るの?」、冗談でレックがこう聞いたら「あさって」と言われて二人で爆笑した。ところが、「ユナイテッド航空で行くから」と言われて「えっ?ホントに明後日くるの?」
そのときは、まだ飛行機を取ってなかったが、1時間後にはバンコク行きの飛行機の予約を入れたという連絡が入った。
買い物を済ませ一旦、帰宅。夜7時には、現在、タイに赴任中のT氏と会う約束をしていたので、アソーク駅近くのグランド・パシフィックホテルに。日本から持ってきたバイオノート用のドッキング・ステーション等を手渡して、まず、晩ご飯に。その後、T氏の行きつけのカラオケ2軒に行って、午前1時過ぎにおひらきとなった。どうも、到着翌日から激しく活動してしまって、かなり衰弱。帰りのタクシーにレックさんの家の道路の番号を言うと、150バーツだとふっかけられる。ダメだ、メーターにしろと言ったら、おとなしくメーターのスイッチを入れたが、今度は高速を使えと言い張る。夜中なんだから、下でも良いようなものだが、まぁ、早く行って帰ってきて、また別の客を捕まえたいのだろう。高速料金40バーツを払って高速に。結局、タクシー代は100バーツくらい。高速代でさらに40バーツという出費。かなり疲れたので、すぐに就寝。
7月9日(火)
レックの家は朝が遅い。レックは11時くらいに起きて朝ご飯を食べている。僕は9時くらいに起きてシャワーを浴びて、レックより先に朝ご飯を食べてしまう。朝ご飯はいろいろで、トーストのときもあれば、お粥のときもある。レックが、僕は日本ではどんな朝食を食べているのかと尋ねるので、トーストだと言ったら、次の日の朝、トーストが出てきて、ビックリ。わざわざ僕のためにパンを買ってきたのではないかと思ったが、実はノック(レックの奥さん)は今、パン作りの学校に通っているらしい。それで自分で焼いたパンを食べさせてくれているというわけだった。トーストは、小さいけれど、なかなか美味しい。
髪が伸びていたので、近所の床屋に行った。以前にもタイで髪を切ったことはあるが、それはオリエンタルホテルの美容室でのこと。高級ホテルの美容室でのカットは600バーツだったが、今回の床屋は近所のショッピングモール内にある床屋。レックがときどき行くというところ。200バーツ。椅子に座るとおじさんが何やら耳にかかっている髪を指して言っている。「パーサーアンクリット・ダイマイ?」と適当に言うと、うんうんと頷いていたので、英語で耳は出してね、と言ったら、また頷いた。分かっているが心配だが結果的には通じていたような感じ。でも、前髪はちょっとスタートレックのスポック風になっていた。あと、左の耳の裏を切られそうになった。幸い血は出なかったので、マイペンライかな。

夜は、タマサート大学で日本語を教えている日本人先生二人と一緒に食事をした。でも、その前に、スラウォンの有馬温泉に行って、2時間マッサージを受けた。この旅初のタイ古式マッサージということで期待したのだが、特に指名しなかった結果、あまりうまくない人に当たり。力は強いのだけど、痛いだけ。マッサージ後はかなり疲れ切っていた。本末転倒かも。次回は去年指名していた番号を言ってみようかな。でも、1年も経っているから、すでに消えているかも知れないが。

マッサージの後は、BTSで、サパン・タクシン駅まで行って、Express Boat Serviceサトーン乗り場からボートでワンランまで。そこから渡し船に乗って、タマサート大学の近くの船着き場まで行くはずだったのだが、なぜか、ちょっと船は戻ってワット・プラケーオに近い船着き場ターチャンへ。しょうがないので、そこからタマサート大学まで徒歩。途中、ペットボトルの水を買い、それを飲みながら10分弱でタマサート大学に到着。

タマサート大学の日本語の先生であるSさんは、在タイ3年目の人。もう一人のAさんは、今年の4月20日にタイに到着したばかりで、まだあまりタイの観光をしたことがない。この二人と、ターチャンにある軍隊に関係しているレストランに行った。Sさんが、最近、ずっと頼みたくて思い通りのものが出てこないものだと言ってオーダーしてみたのが、コー・ムー・ヤーン、それから牡蠣とやさいを卵でとじたような料理、オースワン、さらにソムタム、ナスのサラダ、エビのすりみをドーナツ型に揚げたものの5皿を注文。さらに、レストランに行く途中、道ばたで、ライチー、マンゴスチン、釈迦頭を買っていき、持ち込みでフルーツもやまほど食べたので、ちょっと食べ過ぎな感じ。おぉ、それと、ビアシンを久しぶりに飲んで堪能した。

食事が終わって時刻はまだ8時30分くらいだったが、Aさんは翌日、6時30分に家を出るほど早いとのことで、その日はお開きに。僕に508番のバスに乗ってスクンビットに行くようにと、一緒にバス停で待ってくれたが、まったくそれらしいバスが現れないので、二人にはバスで自分たちのアパートに戻ってもらい、僕はタクシーに乗ってスクンビット経由で帰った。
7月10日(水)
今夜は日本から、もう一人の居候が到着するので、ドンムアン空港まで出迎えに行く予定。それ以外は、フリータイムなので、今日の午後、ちょっとサヤームに行ってブラブラしてみることにした。サヤームスクエア周辺は映画館が多い。うろうろしたが、どこに行ってもトム・クルーズのMemory Reportを大々的に売り出している。面白いのだろうか。結局、またマーブンクローンに到着して、うろうろしていたら、4時15分からBad Companyがあるので、それを見ることに。映画鑑賞料100バーツ。切符売り場のスクリーンには、空いている席が写し出されるので、どの席が良いかを指定する。僕はC16を指定。後ろから3列めのやや右より。かなり、ガラガラのようだ。コーラを注文したら特大のコーラが出てきた。40バーツ。これを持って着席すると、やはり、後方中心部にかたまっていて、それ以外はガラガラ。学校帰りの学生カップル、学生友だちグループが多いようだ。

映画の予告編の途中に、タイ王国の王様に敬意を表して、全員が起立して、国歌が流れるのを聞く。これは、どの映画館でも同じで、必ず映画の始めには王様の写真を見ることになる。そして、肝心の映画だが、内容はまぁまぁだった。アンソニー・ホプキンスがCIAエージェント役で、渋い演技をしていた。しかし、ここは映画レビューではないので、詳細は書かない。とにかく、いつものことながら、タイの映画館は冷房効かせ過ぎで寒い。ひざかけ、毛布などが必要だと、いつも思う。

映画を見終わってマーブンクローンの中を歩き始めると、CD屋を発見。大きな宇多田ひかるのポスターが貼られていた。そう、タイでもJ-POPは流行っている。調べたわけではないが、宇多田は日本人歌手の中で人気においてかなり上位なのではないだろうか。
歌、ファッションなど、日本文化に興味を持っているタイ人は、さまざまなところで日本語を使っている。同じくマーブンクローンの中で、こんなインターネットカフェを発見。でも、クキックって一体どういう意味なんだろう。

夜になって、友人を迎えにドンムアン空港に行った。僕が到着したのは3日前なのに、そのときと比べて、かなり出迎えの数も増えているし、日本人観光客の姿も多い。特に若い女性のグループツアーが多いように感じたが、リピーターのおじさんたちは、その場にとどまらずにすぐに街に向かってしまうため、あまり存在を確認できないだけかも知れない。一人、丸めがね型の濃いサングラスをして、サングラスのフレームの上から前を見ながら税関を出てくる日本人男性を見た。かなり怪しい(笑)。
7月11日(木)
今日は、ずっと家にいた。午後はレックもノックも出かけてしまって、日本からの居候二人とペットの犬二匹がゴロゴロしているという状況。まったく変な話だが、まぁ、いいだろう。
そこで、思い立って、この日記を書いてみた。この後も続けてかけるか分からないけど、できるだけ写真を紹介していきたい。
そう言った矢先になんだけど、今日は外出してないので、写真はない。そこで、昨日、スーパーで見つけたお菓子、「どうぞ」の写真をお見せしよう。見た目はせんべいのようだけど、まだ味見していない。今度買って食べてみよう。

7月12日(金)
だんだん、朝起きる時間が遅くなってきた。と言っても9時半くらいには起きてしまうのだけれど、レックは11時くらいにならないと自分の部屋から出て来ないし、居候仲間も午前中は寝ていることがほとんだ。結局、朝ご飯を食べてメールチェックしたりして過ごす。
昼過ぎに、居候仲間と近くのマッサージに行くことにした。レック推薦の場所で、僕たちは行ったことがないところ。ぐずぐずしているうちに出発が2時半くらいになり、あまりにも外が暑いので、タクシーに乗って向かってみる。途中、場所が分からずレックの携帯に電話して、タクシー運転手と話してもらったりしながら、なんとか到着。しかし、携帯の威力はすごい。携帯がなかったら、わからずに家に戻って寝ていたかも。

肝心のマッサージだが、1時間150バーツ。最低2時間から。ということで、一人300バーツ。それにチップもひとり100バーツ。合計400バーツ。うーん。これ、有馬温泉よりはちょっとだけ安いけど、結構なお値段。カオサンあたりだと1時間100バーツらしい。
カウンターで、「アーチャーン」と言って上手い人をお願いする。しかし、上手い人をお願いされたからと言って断る店などない。みんな上手いと言うだろう。だから、ちょっと気休めっぽい気もするが、レックによるとアーチャーンは新入りにマッサージの指導をする先輩マッサージ師だという。だから、上手いのだということなんだろうけど、先輩でも上手くない場合があるんじゃないかと思ったりするのは、僕が素直じゃないからか。
2時間のマッサージ終了。感想としては、上手かったけど、僕に付いたマッサージのお姉さんは少し強面で、あまり愛想がなかった。あと、首をひねられてバキバキとなったときは、なかなかのやり手だと思った。
マッサージ終了して帰宅。今度は、ダラダラ歩いて帰ってみる。お腹が空いたので途中、パンを買ったり、焼き鳥を買ったりして、家で食べた。まだ、家人は戻っていなかった。
夜は、またまた飲みに出た。T氏とアソークの焼き肉屋で待ち合わせ。しかし、僕はパンと焼き鳥を食べて間もないので、冷麺を食べることにした。T氏は石焼きビビンパを頼んでいた。ここで、ビールを飲んで、どこに飲みに行くか相談。カラオケという案も出て、ちょっとウロウロしてみたが、どうもピンと来る店がなくて困っていたところ、T氏の同僚のタイ人から電話が入った。彼と彼の友だちのタイ人の女性が、カフェのようなところで飲んでいるらしい。そこで、そこに合流することになった。

名前は聞きそびれた(笑)。ここで、T氏の友人Sさんは、かなりの女好きであることが判明。ナンパしまくりで、すごいことになった。帰る段になって、Sさんががナンパしたタイ人の女の子がSさんに送ってもらうことをかなり恐れていたため、T氏にそれを話し、結局、Sさんを説得して女の子をT氏と僕の車の方に乗せた。Sさんは、憮然として、帰って行った。
T氏の車で女の子を家まで送って行こうとしたが、途中で、そこは未知の世界、つまりどこだか分からない地域であることが判明。帰れないのではないかという感じがした。女の子の提案で、なぜか、T氏のアパートに行って3人で泊まるということ。T氏のアパートは3ベッドルームなので、一人一部屋状態。僕が泊めてもらった部屋だけでも、ふつうのホテルのツインルームより広かった。もちろん、すべてのベッドルームにはバス・トイレ付き。ここに一人暮らししているのは、かなりもったいない。
朝起きて、近くのロビンソンで食事して、女の子を仕事場まで車で送って、その後、僕も家まで送ってもらった。朝帰り、ってことだ。
7月13日(土)
朝帰りしてみると、昨日、マレーシア在任中の友人が週末を利用して遊びに来ていた。まだ爆睡中だ。しばらくすると、マレーシアからの友人は起き出してきた。彼の食事にドリアンで付き合う。ちなみに、ドリアンは確かにニオイが強烈だ。味はバニラの味なのだけど、食べた後、胃が焼けるような感じがあるので、かなりの酸味を持っているように思う。ひとしきりしゃべった後、その友人は近くのマッサージ屋に行って来るというので、僕はちょっと昼寝した。
夕方、カセサート大学のニヤーダ先生のお宅におじゃました。閑静な住宅地。中心部からは離れているので、バンコクの喧噪はない、とても穏やかなところだった。ニヤーダ先生の旦那さん、シェードさんはエンジニア。娘のムックさんは8月からアメリカに留学する秀才。息子のミックくんは、どうやら勉強よりはゲームという高校生のようだ。ニヤーダ先生は、Literatureの先生だということだったが、書かれた本を拝見するとタイの言葉についても書かれているようで、どうやらタイ文学というか、タイの国語の専門家のような気がする。残念ながら、先生の本はすべてタイ語で書かれているので内容はよくは分からないのだけれど、中にタイ文字の表などが入っていたので、そんな気がした。

いろいろ大学の話を聞かせていただいた後、ご家族といっしょに中華料理を食べに行った。この家族、語学教育には熱心で、子どもには英語の教育を徹底している。ムックさんはTOEFLスコア650だそうだ。ちなみに、学部にもよるがアメリカの一流大学の大学院でも、600以上あれば入れるのではないだろうか。しかし、ミックくんは、どうも英語が苦手なようで、ニヤーダ先生は「パーサー・アンクリット」と言いながら英語で話させようとしていて、家族の団らんというよりは、ちょっと緊張した空気が食卓に流れていたため、会話も途切れがちとなった。ちと疲れた。食後、レックの家まで車で送っていただき、お土産にシェードさんが自分で作ったワインをいただいた。
これで今日も終わり。日記でも書こうかと思っていたところ、マッサージに行こうということになり、夜中になって出かけた。結局、戻ってきたのは3時近く。結論から言えば、やっぱりマッサージは有馬である。いや、別に有馬だけが良いわけではないし、有馬でも、前回はハズレだったのだが、上手い人の番号さえ覚えていれば、その人を指名している限り、アタリが続くのだ。有馬は空調も快適だし、繁華街にあるから好きなのかも知れない。タイに限らないのだが、僕はネオンの看板がひしめいている光景が結構好きなのだ。それに囲まれて生活したいわけじゃなくて、その非日常的な雰囲気が面白いのだ。というわけで、次のマッサージは、やっぱり有馬に行こう。
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タイの携帯電話事情(2002年版)

タイにいてもつながってる!? ~タイの携帯電話~
『携帯電話がない生活なんて、考えられな~い!!』と思っているのは、日本の若者ばかりでなく、タイの若者も、この便利な通信手段を活用しています。バンコクはもちろん、ノンカイというラオスとの国境の町でも携帯電話の電波は届いていました。勝手な推測ですが、利用可能地域はかなり広いのではないかと思います。というか、むしろ、開発途上国の場合、有線で個々の家庭に有線電話線を張り巡らせるより、人口分布を考えながら、携帯電話のアンテナを設置したほうが、てっとり早く電話機能を国土に普及させることができるのではないでしょうか。
とはいえ、タイで携帯電話の新機種を買うと、1台数万円相当の支出になってしまいますから、学生にとっては、かなり高価な買い物となります。しかし、それでもタイの大学生以上の若者は、携帯電話を手にしっかり握って歩いていたりしています。そう。タイの人は、携帯を手に持って歩いていることが多いような気がします。少なくとも2002年夏の時点では、タイでは携帯にストラップを着けたり、携帯を首からぶらさげている人はあまりいませんでした。というのも、それまで市場に出ていた機種は、ストラップを着けられない構造だったからです。もっとも、タイでは携帯を手に持って歩くことが、カッコイイのかも知れませんね。
外国人である僕たちも、この携帯電話を利用しない手はありません。友人とタイに旅行して現地で別行動するとき、あるいはタイに出張で行くなど、現地での連絡を頻繁に取れるようにしたいという人には、やはり携帯電話が便利です。そこで、タイ滞在中に携帯電話を使えるようにする方法をご紹介しましょう。
タイ人の友だちの名義借り!?
仕事、遊びなどで、タイに頻繁に行く人の場合、タイ人と同じように通常の携帯電話利用契約をしてしまいたいと考えるかも知れませんが、外国人が通常の契約をするためには、タイでの就労ビザを持っていなければなりません。いわゆるワーク・パーミット(Work Permit)と呼ばれるものです。大学などに正規留学している方の場合は・・・わかりません(笑)。タイによく行く日本人の中には、知り合いのタイ人の名義で契約を結ぶという人も、かなりいるようです。仲の良いタイ人がいるなら、いっしょにMBKなどの携帯ショップに行ってもらって、携帯電話を購入して契約を済ませることができるでしょう。しかし、電話料金の債務は、その友人にかかることになりますし、自分でお金を出して携帯電話を買っても、なんとなく友人に借りているような変な立場のままになります。
しかし、ワーク・パーミットを持っていない外国人でも(旅行者でも)、タイで問題なく携帯電話を手にする方法があります。それはプリペイド式の携帯電話を買うという方法です。
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タイのプリペイド式携帯電話
タイのプリペイド式携帯電話サービスは、AISとDTACという2つの会社が提供しています。どちらの会社も、携帯電話機、SIMカード、リフィルカード(携帯利用権数百バーツ分)をセットにしたパッケージと、SIMカードとリフィルカードだけで電話機本体は含まないパッケージを販売しています。携帯電話機本体とセットになっているものは、数種類の機種が販売されていて、機種によって価格が違いますが、比較的安価な電話機がセット販売になっているようです。
これらのセットは携帯電話ショップで取り扱っています。左の写真のPromptと書かれている箱はDTACのパッケージで、Nokiaの電話機とセットになっているものです。現在は、名称が変更されて"DPrompt"(ディー・プロンプト)と呼ばれています。(ちなみに、AISのプリペイド式携帯電話の名称は、"One-2-Call"ワンツーコールです。)
このようなパッケージを買って、携帯電話を充電すれば、すぐで電話を使うことができます。最初のセットに付いていたリフィルカード(電話利用権)を使い切ったら、携帯電話ショップで写真のようなプリペイド式のリフィルカードを購入すれば、電話料金を補充することができます。
リフィルカードはDpromptの場合、300、500、800、1200の4種類あり、それぞれ表記金額分の通話料と100日間の使用料が含まれています。つまり、通話料を使い切ったとしても、そのリフィルをインプットすることで100間分の通話の受信はできることになります。(受信には通話料は不要です。)ちなみに、One-2-Callでは、300(30日)、500(50日)、800(100日)、1500(200日)と受信可能になる日数が異なります。
また、リフィルカードが切れて通話できなくなってから、一定期間(はっきり覚えていないのですが、数十日程度だと思います)はSIMカードは有効になっています。しかし、その期間を過ぎると無効になり、それまで使っていた電話番号が使用できなくなってしまいます。その場合には、電話機本体を含まないStarter Kitを購入すれば、電話番号は変わってしまいますが、前の携帯電話を使用することができます。しかし僕の経験では、実際に使用すると、自分から発信できないと不便なため、どんどんリフィルを追加するので、受信可能日数がどんどん加算され、有効期限もそれに伴ってどんどん延びていきます。
ただし、プリペイド式携帯電話を利用する場合には、マニュアルを読んだり、利用料残高を電話で確認したりするために、英語またはタイ語の理解力が必要となりますので、ご注意ください。
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レンタルする?
タイには初めて行く、あまり頻繁に行かないが電話は欲しい、という人のためには、レンタルの携帯電話があります。レンタルと言っても、日本から借りて行く方法と現地で借りる方法の2種類があります。提供している会社によって、サービス内容や料金も異なってくると思いますので、ここですべてを説明することはできませんが、代表的な例を挙げてみましょう。
もしも、あなたが日本で利用している携帯電話がドコモの場合には、World Walkerというサービスがあります。あなたがタイに行く数日前(どこで携帯電話を受け取るかによって異なりますので詳細はドコモのページで見てください)までに申し込むと日本国内で海外で使える携帯電話を受け取ることができます。料金は、機器使用料が1日1000円、1ヶ月で20,000円です。タイで国内電話をかける場合には150円/分、国際電話の場合には350円/分という明瞭会計システムです。
このWorld Walkerの場合、注意しなくてはならないのは、日本でふだん使っている携帯電話に電話がかかってくると、それが海外の携帯電話に転送(厳密にはローミングと呼びます)されてくるということです。それは便利じゃないの!と思っているかも知れませんが、便利なことはともかく、日本からタイまでの通話料は、あなたが負担することになります。日本から電話が転送されないようにするためには、留守番電話サービスをオンにしておく必要があります。
もう一つ、注意しなくてはならないのは、あなたのタイの友人が目の前にいるあなたに電話をしようとする場合でも、その友人は、たぶん国際電話であなたの日本の携帯電話に電話をしなければならないということです。僕はWorld Walkerを利用した経験がないので、もしかしたら誤解している点があるかも知れませんので、ご利用する前に必ず、NTTドコモに確認してください。
この他、海外旅行の際に日本国内で海外用の携帯電話をレンタルできるところがたくさんあるようですので、自分の利用方法に合ったところを選んでください。
また、タイ国内でも携帯電話をレンタルしてくれるところがあると思います。手元にある某クレジットカード会社の冊子には、『ワールド・メディア』というお店が、ドンムアン国際空港国際線第一ターミナル1F到着ロビーにあると書かれています。最新情報ではないかも知れませんので、行く前に確認をしてからご利用ください。
ヨーロッパに住んでいる人は・・・
もしも、あなたがヨーロッパの国に住んでいてGSM携帯電話を持っているなら、ここまでの話で、タイはGSM携帯電話を使っているのではないかとお気づきかと思います(笑)。そうです。そのとおりです。タイでは他の方式もあるようですが、GSM携帯電話が広く使われていますから、GSMのローミングが可能です。ふだん使っている携帯電話を持ってくれば、World Walkerのように、たぶんそのままタイで使用することができます。 たぶんと書いたのは、あなたが利用している携帯電話会社や契約内容によって、タイでのローミングがそのままできるかどうか、僕には分からないので、ちょっと不確かなのです。タイ以外のアジアの国でGSMを利用している場合も契約形態がわかりませんので、タイに行く前に、自分の携帯電話の利用契約などを確認してください。また、北米のGSMは特殊なので、ローミングは不可能かと思います。
GSM携帯電話なら、なんでもOKか!?
だんだんマニアックな説明になってしまっています。ごめんなさい。GSM携帯電話なんて、よくわからないという方は、読み飛ばしてください。GSM携帯電話をすでにお持ちの方への、これまた不確かな情報ですが、以前は、タイ国内で使用するGSM携帯電話はタイ国内で販売されたものでなければなりませんでした。SIMカードが携帯電話をチェックして、タイ国内で販売されたものでないことを識別していたのです。が、最近、その制限が撤廃されたという報道がありました。僕自身、確認したわけではありませんが、どの800/1800 GSM携帯電話でも利用可能となれば、お手持ちの携帯電話をタイに持っていき、プリペイドの電話機本体なしのパッケージを購入すれば、タイで携帯電話を使えるようになります。
たぶん、ですけどね(^_^;;;
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※ちなみに、タイでGSMと言うと、特定ネットワークキャリアの携帯電話サービスと思われるようですので、誤解される恐れがあります。ご注意ください。

AIS One-2-Call AISは日本で言えば、NTTドコモ!?政府閣僚の某氏が経営するとかで、会社としては安定しているものの、オフィスに行って何か交渉したりする場合には、融通が利かないこともあるかも。タイで携帯電話機が高額だったことや、タイで販売された携帯電話機しか使用できなかったのは、誰かが独占的に・・・。うーむ。
DTAC DPrompt じゃ、こっちはタイのJ-Phone?がんばっているみたいだけど、イマイチ、AISブランドと比較されると軽く見られているような・・・。僕はDPrompt使ってたけど。
World Walker NTTドコモのWorld Walkerサービスの説明ページ。これはテキストのみのページなので、ちょっと簡素。もっとゴージャスな説明が見たいときには、ドコモのサイトから、携帯電話のサービス説明を探してみてください。
g-phone 携帯電話レンタルの会社は、結構、多いみたいだけど、聞いたことないところばかりで、なんか不安。これは、JALのページからリンクされていたので、ちょっと安心かなと思って。JAL以外の航空会社や大手旅行代理店とも提携しているようです。


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ソウルの旅 ~5~

新村のPCバン



新村(シンチョン)は、梨大の隣の街。延世大学のお膝元でもあり、とにかく学生がたくさんいる街です。梨大周辺はおしゃればお店が中心ですが、夜になって、安いご飯やお酒を楽しむためには、梨大の女の子たちも新村に移動しているようです。(梨大から、ぞろそろと歩く人の波に乗って僕も移動してみました。)
飲食店がひしめき合う中で、頻繁に見る英語の2文字「PC」。ここはいわゆる「インターネットカフェ」ですが、韓国では「PCバン」と呼んでいるようです。
韓国ではブロードバンドがとても進んでいるということでしたが、このようなPCバンがたくさんあることも、韓国のインターネット普及にかなり貢献しているのではないでしょうか。
夜10時過ぎだというのに、マルチプレーヤーゲームに興じる学生でほぼ満席という状況でした。1時間120円ですから、ゲームセンターで遊ぶより、よっぽど安上がりということですね。日本でも、こういう時代が来るだろうかとふと考えてしまいました。


タッカルビ
新村でお腹を空かせて歩いていたら、焼き肉屋の呼び込みのお兄さんに声をかけられました。韓国人と思って声をかけてきたらしいですが、日本人と分かると、料理の写真を見せながら、これは美味しいというようなことを言っていたようです。(ハングルなので、話している内容は不明ですが。)確かに美味しそうだったので、店に入ってみました。
中で働くお兄さんの一人が、カタコトの日本語を話したので、なんとか注文も完了。タッカルビ初体験となりました。タッカルビは、ぶつ切りの肉、キャベツをコチュジャンと合わせて炒める料理です。店内には、お兄さんやお姉さんが数人、各テーブルを巡回していて、調理をしてくれますから、お客は特に何もする必要はありません。座ってビールでも飲んでできあがるのを待つばかりです。タッカルビはできあがると、ラーメンというかスパゲッティのような麺を入れたり、餅を入れたりして食べるようです。
また、少し残っている状態まで食べてから、ご飯と炒めてチャーハンにしたりすることもあります。
うーん・・・しかし、タッカルビは辛かったです。


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ソウルの旅 ~4~

梨大周辺



通称「梨大」は梨花女子大学のことで、この地域は、さすが女子大のお膝元だけに、おしゃれなお店がたくさんある街です。カワイイ洋服を売っているお店が立ち並んでいる中、おしゃれなケーキ屋さん、フルーツパーラー、日本食屋があるかと思うと、通りにはトッポッギなどの屋台が並び、女の子たちの食欲も満たしているようです。
地下鉄マップを見ていると、漢字では梨大と書きますが、カタカナではイデと書き、英語ではEwha Women’s Universityと表記されています。ハングルが分からない外国人旅行者にとっては、この地下鉄の駅や地名表記は、なかなかのくせ者で、ときどきわけがわからなくなりますから、要注意です。漢字表記だけに頼っていると、駅ではハングルかアルファベット表記だったりしますので、いくつかの地図で表記法を確認して行動することをオススメします。


梨大前のフルーツパーラー


梨大の前で一休みしようとコーヒー屋さんを探していたら、なんだかおしゃれなお店を発見しました。中には女の子がぎっしり入っていますが、ちらほら男性もいたので、中に入ってみました。ここはフルーツパーラーといったお店で、メニューにはフルーツの盛り合わせやサラダなどとフルーツジュースがありました。ハングルが分からないと、何があるかハッキリ分からないですが、メニューをなんとか解読して、勘をを働かせて注文してみました。結局、フルーツの盛り合わせ2人前とジュースをなんとか注文できました。
店の半分は、ブランコのように天井から吊された椅子になっていて、女の子たちはこの席を狙っています。この席が空くと、他のテーブル席に座っていた女の子たちが、空かさず移動してきます。どうしてでしょうねぇ。ブラブラ揺れながら食べるより、動かない椅子のほうが安定していると思うんですが。そこが、女心なんでしょうか・・・。
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ソウルの旅 ~3~

明洞で出会った親切なおじさん!

韓国に到着した日、ソウルは雨模様で、夜になると一段と冷え込んできました。初めて来た韓国での晩ご飯に期待して、ソウルの銀座とも渋谷とも呼ばれている明洞(ミョンドン)にやってきました。空港に出迎えてくれていた韓国人ガイドのキムさんの紹介のレストランにいって、サムゲタンを食べてみました。サムゲタンが9,000W、ビールは4,000Wでした。サムゲタンは若鶏の内蔵を取り出した中に餅米、高麗人参、なつめ、くり、銀杏を入れて煮込んだもので、精力増進にも効果があると言われているそうです。寒いソウルの夜に、この暖かいサムゲタンは、とても美味しかったです。
食事が終わって、ちょっと街を散策してみました。レストランを出て裏通りに入ると、いろいろなお店がありました。すでにその日の営業を終えて閉まっている店も多かったのですが、中に2~3、メガネ屋さんを発見しました。結局、2件のメガネ屋を見てみましたが、どちらも日本語の韓国旅行ガイドブックに掲載されていて、しかも、僕たち以外の日本人旅行者も来ていました。
最近、韓国でメガネを買う日がかなり増えているようです。フレームは安いもので、10,000W(約1000円)、形状記憶と呼ばれている柔軟性のあるフレームの場合には30,000W(3,000円)、またレンズは視力によって20,000W、40,000W、60,000W(2,000円~)などといろいろあるようです。約20分くらいでメガネはできてしまうので、かなりお買い得かも知れません。
さて、メガネ屋を後にして歩いていると、ミリオレ(Migliore)というファッションビルに到着しました。ガイドブックで見たときには、日本で言えばラフォーレ原宿とか109のようなものかと思っていましたが、入ってみると、小ぎれいなアメヨコのお店みたいな感じで、細かく区切られた小間の中にお店があり、衣類を売っていました。このミリオレ、午前3時まで営業をしているそうですが、到着したのが11時過ぎで、あまりお客さんは多くありませんでした。
ミリオレの最上階にはフードコートがあり、夜中でもいろいろな食事ができるのですが、すでにサムゲタンで満腹だったので、デザートにアイスクリーム(170円)を食べることにしました。かなり満腹な状態になったので、そろそろ帰ろうと思いましたが、すでに午前0時を回っており、地下鉄はもう動いていませんでした。後で見たところ、ソウルの地下鉄は午後11時台が終電のようでした。
さっきまで降っていた小雨は、ちらほらに変わっていました。仕方ないので、ミリオレと道路を挟んで反対側のファミリーマートでお茶を買って、ホテルまでタクシーで帰ることにしたのですが、ソウルでタクシーに乗るのは初めてで、どうしたら良いかわかりません。地下鉄が終わって、タクシーに乗ろうとしている人がたくさん、歩道から車道に出てタクシーをつかまえようしています。ここまでは、日本と同じかも知れませんが、どうやらソウルでは相乗りタクシーがふつうのようなのです。そこで、すでに客が乗っているタクシーでも、タクシーを捕まえようと立っている人を見ると減速したり、止まったりします。そして、助手席側の窓の隙間から、自分が行きたい地名を叫ぶのです。
この状況を把握するまでの間、たぶん10分以上、車道で呆然と立ちつくしていました。そして、たぶん相乗りタクシーに乗ることはムリなので、空車を捕まえられるまで努力しなくてはならないだろうなと考えていました。そんなとき、近くでタクシーをひろおうとしていた50歳くらいのオジサンが何やら話しかけてきました。向こうは完全に韓国語。あまりお互いに通じていなかったのですが、僕たちが日本から来たことは伝わり、そのオジサンも日本に行ったことが2、3度あり、歌舞伎町などにも行ったことがあると行っていました。そして、どこのホテルに泊まっているのかと聞いてきて、この時間帯はタクシーをつかまえるのが大変なんだと、しきりに説明してくれ、ジェスチャーをまじえて、俺がなんとかしてやる、みたいなことを言っているようでした。
数分後、オジサンは空車のタクシーをつかまえました。そして、助手席のドアを開けて運転手に僕たちが日本人でホテルまで行く必要があることを言ってくれていたようでした。僕と友人はタクシーの後部座席に乗り込んだのですが、オジサンはそのタクシーには乗らず、タクシードライバーに10,000Wのお札を握らせると、僕と握手をして去っていきました。
タクシーは10分も経たないうちに、今回のソウル旅行の宿泊先である新羅ホテルに到着しました。ソウル初日、韓国のやさしいオジサンに出会えたことが、僕にとっては、とても忘れられない思い出となりました。
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ソウルの旅 ~2~

明洞~南大門市場周辺

僕が泊まっていた新羅ホテルから明洞までは地下鉄で2駅。600W(約60円)で行けて、とても便利。一度、ホテルから乗ったタクシーがボッタクリタクシーだったようなのだけれど、ホテルを出てから強引に方向を変えて、何やらトンネルを通り抜け、またUターンするかのように別のトンネルに入って明洞に行ったことがありました。きっと、故意に遠回りしようとしたのでしょうが、それでも4,200W(約420円)でした。実際には、一般タクシーで3,000Wくらいのようです。
ボッタクリタクシーの話はこれくらいにして、明洞のお話をしましょう。明洞の地下鉄の駅の上に建っているのがファッションビル『ミリオレ(Migliore)』です。中には衣類のお店がいっぱいです。ほとんどが女性向けの衣料品ですが、アクセサリー、雑貨、男性向け衣料品も若干あります。明洞では、ミリオレがランドマーク。午前3時まで営業していて、最上階にはフードコートもあるので、夜中にぶらっと遊びに来てもオッケーです。
明洞周辺は、東京で言えば渋谷あたりのノリでしょうか。飲食店と様々なショップが入り乱れて存在しています。
足裏マッサージのお店もあるというので探していると、大きな足裏が描かれていて・・・オイオイ。それはHang Tenだよ、というわけで、ここではマッサージはできません。
メガネ屋さんも何件もあり、食事をするお店もたくさんあります。また、明洞の駅からちょっと歩けば、ロッテデパートも。
でも、明洞はどちらかと言えば、ショッピングと食事を中心とする地域で、お酒を飲んだり、大衆的な食事をしたり、クラブに行ったりしたい人は、新村がオススメです。
ミリオレから西に向かうと南大門市場があります。徒歩15分ほどでしょうか。地下鉄で直接行くには、会賢駅で降ります。


南大門市場は一つの建物を指しているのではなく、ごちゃごちゃと林立している小さなお店や大きな建物がある地域の総称と理解しておいたほうが良いでしょう。衣料品、食料品、生活用品など、さまざまなものが売られています。
日本人観光客も数多く、お店の人たちにとっては、カモなのかも知れません。すぐに日本人と見に抜いて、ノリ、高麗人参、革製品、偽物ブランド商品などを売り込んできます。押しの強い営業に弱い人は要注意です。かなり執拗に売り込んできたり、腕をつかんで店の中に引きづりこまれたりしました。(汗)
外を歩き回るのに疲れたらMESAというファッションビルに逃げ込むのも手です。比較的に新しいビルのようだし、中にはフードコートもあるので、ゆっくり回復してから、また、露店の人たちに挑んでください。


うどん&餃子
明洞にある明洞餃子。その名のとおり、餃子がウリのお店です。とりあえず、うどんを注文すると、うどんの中にも水餃子が浮かんでいます。でも、メニューには蒸し餃子もあったので、蒸し餃子も注文してみました。
うどんも餃子もとても美味しく、かなりのボリュームでした。日本人観光客もちらほら来ていますが、韓国人のお客さんも多く、安心して食事できる店という印象でした。



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ソウルの旅 ~1~

明洞で出会った親切なおじさん!

韓国に到着した日、ソウルは雨模様で、夜になると一段と冷え込んできました。初めて来た韓国での晩ご飯に期待して、ソウルの銀座とも渋谷とも呼ばれている明洞(ミョンドン)にやってきました。空港に出迎えてくれていた韓国人ガイドのキムさんの紹介のレストランにいって、サムゲタンを食べてみました。サムゲタンが9,000W、ビールは4,000Wでした。サムゲタンは若鶏の内蔵を取り出した中に餅米、高麗人参、なつめ、くり、銀杏を入れて煮込んだもので、精力増進にも効果があると言われているそうです。寒いソウルの夜に、この暖かいサムゲタンは、とても美味しかったです。
食事が終わって、ちょっと街を散策してみました。レストランを出て裏通りに入ると、いろいろなお店がありました。すでにその日の営業を終えて閉まっている店も多かったのですが、中に2~3、メガネ屋さんを発見しました。結局、2件のメガネ屋を見てみましたが、どちらも日本語の韓国旅行ガイドブックに掲載されていて、しかも、僕たち以外の日本人旅行者も来ていました。
最近、韓国でメガネを買う日がかなり増えているようです。フレームは安いもので、10,000W(約1000円)、形状記憶と呼ばれている柔軟性のあるフレームの場合には30,000W(3,000円)、またレンズは視力によって20,000W、40,000W、60,000W(2,000円~)などといろいろあるようです。約20分くらいでメガネはできてしまうので、かなりお買い得かも知れません。
さて、メガネ屋を後にして歩いていると、ミリオレ(Migliore)というファッションビルに到着しました。ガイドブックで見たときには、日本で言えばラフォーレ原宿とか109のようなものかと思っていましたが、入ってみると、小ぎれいなアメヨコのお店みたいな感じで、細かく区切られた小間の中にお店があり、衣類を売っていました。このミリオレ、午前3時まで営業をしているそうですが、到着したのが11時過ぎで、あまりお客さんは多くありませんでした。
ミリオレの最上階にはフードコートがあり、夜中でもいろいろな食事ができるのですが、すでにサムゲタンで満腹だったので、デザートにアイスクリーム(170円)を食べることにしました。かなり満腹な状態になったので、そろそろ帰ろうと思いましたが、すでに午前0時を回っており、地下鉄はもう動いていませんでした。後で見たところ、ソウルの地下鉄は午後11時台が終電のようでした。
さっきまで降っていた小雨は、ちらほらに変わっていました。仕方ないので、ミリオレと道路を挟んで反対側のファミリーマートでお茶を買って、ホテルまでタクシーで帰ることにしたのですが、ソウルでタクシーに乗るのは初めてで、どうしたら良いかわかりません。地下鉄が終わって、タクシーに乗ろうとしている人がたくさん、歩道から車道に出てタクシーをつかまえようしています。ここまでは、日本と同じかも知れませんが、どうやらソウルでは相乗りタクシーがふつうのようなのです。そこで、すでに客が乗っているタクシーでも、タクシーを捕まえようと立っている人を見ると減速したり、止まったりします。そして、助手席側の窓の隙間から、自分が行きたい地名を叫ぶのです。
この状況を把握するまでの間、たぶん10分以上、車道で呆然と立ちつくしていました。そして、たぶん相乗りタクシーに乗ることはムリなので、空車を捕まえられるまで努力しなくてはならないだろうなと考えていました。そんなとき、近くでタクシーをひろおうとしていた50歳くらいのオジサンが何やら話しかけてきました。向こうは完全に韓国語。あまりお互いに通じていなかったのですが、僕たちが日本から来たことは伝わり、そのオジサンも日本に行ったことが2、3度あり、歌舞伎町などにも行ったことがあると行っていました。そして、どこのホテルに泊まっているのかと聞いてきて、この時間帯はタクシーをつかまえるのが大変なんだと、しきりに説明してくれ、ジェスチャーをまじえて、俺がなんとかしてやる、みたいなことを言っているようでした。
数分後、オジサンは空車のタクシーをつかまえました。そして、助手席のドアを開けて運転手に僕たちが日本人でホテルまで行く必要があることを言ってくれていたようでした。僕と友人はタクシーの後部座席に乗り込んだのですが、オジサンはそのタクシーには乗らず、タクシードライバーに10,000Wのお札を握らせると、僕と握手をして去っていきました。
タクシーは10分も経たないうちに、今回のソウル旅行の宿泊先である新羅ホテルに到着しました。ソウル初日、韓国のやさしいオジサンに出会えたことが、僕にとっては、とても忘れられない思い出となりました。
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~首長族(カレン族)の村を訪ねて~

チェンマイからの1日ツアー
~首長族(カレン族)の村を訪ねて~
 

チェンマイの街を歩いていると、さまざまなツアー広告を目にすることができる。チェンマイからでるトレッキング・ツアーも有名で、3日間、トレッキングしたり竹の筏で川下りをしたり象に乗ったりする盛りだくさんなツアーもあるが、かなりのサバイバル・ライフだろうと思う。友人と僕は限られた時間という制約と悪天候の中を歩き回るのは負担が大きいとの判断から車で回る1日ツアーを選ぶことにした。1日ツアーにも、ドイステープや手工芸工場を中心としたもの、国立公園を見るもの、象サファリ、象のショーを中心としたツアーなど、いろいろあったが、首長族として有名なカレン族を含むいくつかの山岳民族の暮らしぶりを見たり、お寺や洞窟を見るというコースに決めた。
パンフレットには1500バーツと書かれていたが、1300バーツで良いと言われた。が、他のツアー屋で1100バーツだと指摘すると、1100バーツにしてくれた。果たして、ツアーの主催者は同じ会社なのだろうか?真実はわからないが、まぁ、ツアー料金の相場はそのあたりである。

まずは、Chiang Dao Caveという洞窟に着いた。これは自然な洞窟の中に仏像が安置され、また、精霊信仰の像がおかれているというもので、こうもりの巣にもなっているようだった。
車はさらに田舎に進んでいく。ガソリンスタンドも、ふつうの商店のようになり、店内にガソリンポンプを置くなど、なかなか趣がある田舎になっていった。
 
次に立ち寄ったのは、モン(HMON)族、タイ人はMeo族と呼んでいる少数民族の村である。行ってみて感じることは、少数民族というより、貧しい村ということである。子どもたちは外国人、特に白人を見ると「何かちょーだい」と手を出し、裸足で追いかけてくる。周辺に立っている家もボロボロである。しかし、そのような家の中に衛星放送を受信するパラポラアンテナがあった。なぜなんだろう。彼らは貧しいのか。それとも、その貧しさは演出なのか。短時間の訪問では本来の彼らの生活を知ることはできないが、彼らの生活を見物に来ている自分という存在を考えると、なにか、イヤな気分になった。

モン族の村で放し飼いの子豚をみた。子豚もどことなく寂しげだった。

 

昼食を食べ、タトン寺を見た後、このツアーのメインとなるカレン族の村へと向かった。カレン族の村への入り口付近はアカ(AKHA)族の村となっていて、そこからカレン族の村までは歩くか、象に乗って山に入ることになる。20分ほど山に入るとカレン族の小さな集落があった。
村に入ると、周囲を囲むように竹で作った家が囲み、その家の前には首にたくさんのリングを付けた女性たちが、1件に一人ずつ、座って観光客を迎えていた。村の入り口付近にはまだローティーンと思われる女の子たちが並び、村の奥に入っていくと、年輩の女性がいた。
 

 
首長族と言っても、解剖学的に言うと首が伸びているのではなく、肩が落ちていると言った方が正確らしい。彼女たちは寝るときも、あの首輪を付けたまま寝るという。
彼らはその特異な風習を売り物にして、それを見せて生活をしている。土産物として手工芸品も売っているが、それほど売れてはいない。観光業者が我々のようなガイジンツアーを連れてきて、それを受け入れることで、少額のチップをもらって生活しているようである。

村では男たちは、ほとんど外にいなかった。たぶん家の中にいて、何か仕事をしているのだろう。女たちが観光客を相手にしている間、男たちは陰に隠れている。
我々が行ってからしばらくすると、女の子たちは思い思いに遊んだり、集まっておしゃべりし始めた。子どもらしく遊んでいる姿をみると、ほっとするが、今では収入確保のために首長になっている彼女たちの幸せは何なのか、考えさせられてしまった。
 
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