想像の共同体


日本に戻ってきたので、タイの話だけを書こうとすると、ついつい更新(厳密には「新しい書き込み」ですね)が滞ってしまいます。そこで、今日は珍しく(?)ちょっとまじめな話を書いてみたいと思います。
4月22日~23日、早稲田大学で『グローバリゼーションと現代アジア』というテーマでシンポジウムが開催されました。このシンポジウムは早稲田大学の21COE-CAS21COE-GLOPEの共催です。COEというのは”Center of Excellence”(『卓越した研究拠点』)のことで、文部科学省が2002年から始めた補助金制度のことです。(COEプログラムについては、日本学術振興会の『21世紀COEプログラム』のページを参照してください。)
とにかく、今回のシンポジウムのポイントは、コーネル大学のベネディクト・アンダーソン教授(Professor Benedict Anderson)を招いているということです。アンダーソン教授と言えば、”“Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism”“(邦訳『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』)という本がとても有名で、ナショナリズム研究の第一人者と言った存在と言えるでしょう。しかし、22日の基調講演の中で、アンダーソン教授は、この本を自分の娘にたとえて、出版したときから自分の手から離れて、ポスト・ストラクチャリズムやポスト・モダニズム、あるいはカルチュラル・スタディーズという名の男とどこかに行ってしまったと語っていました。自分の意図したもの(教授はこの本は明らかにマルクス構造主義だと考えているそうです)とは違ったものとして他の人々に受けとめられ、そのような視点からの批判も受けることになったという話でした。
僕がこの本と出会ったのは、もうかなり昔のこと、大学院の教育哲学の授業の中でした。アンダーソン教授の講演があると知って、”“Imagined Communities”“をもう一度読もうと思い、この2週間、持ち歩いていたのですが、結局、あまり読めませんでした。本を開くと、ラインマーカーや鉛筆の書き込みがあって「昔は勉強したんだなぁ~」と、シミジミしますが(笑)、もう脳が弱っていて難しい英語にはついていけないのかも知れないとガックリきました。
それでも、もう一度、この本を読み返したいと思う、もう一つの理由があります。それは、最近の中国や韓国で活発になっている政治的運動を通して見られるナショナリズムを見るとき、一方ではグローバリゼーションによって、人、モノ、情報が簡単に国境を越える時代のナショナル・アイデンティティの意味を考えてみたいからです。

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