「カンボジア」カテゴリーアーカイブ

タイが世界遺産条約(World Heritage Convention)から脱退

2011年6月にパリで開かれた国連教育科学文化機関の世界遺産委員会では、「小笠原諸島」と「平泉の文化遺産」が新たに世界遺産として登録されて、日本は盛り上がっていましたが、その陰ではタイが世界遺産条約から脱退することを宣言するというニュースが流れました。

これは、タイとカンボジアの間で、長年、プレアビヒア(Preah Vihear)というヒンズー寺院の領有権が問題となっていることが原因。でも、なぜ世界遺産条約から脱退しなければならなかったのか…気になったのでネットでニュースやブレアビヒア遺跡について調べてみたところ、大まかには以下のような経緯があるようです。
★9世紀末のクメール朝ヤショバルマン1世が創建したヒンドゥー教寺院。
(アンコールワットよりも約300年古く、その頃はタイ人はまだ中国にいた)
★1863年、カンボジアはフランスの保護国となった。
★1904年、フランス・タイ条約により、プレアビヒア遺跡はカンボジアに帰属。
★第二次大戦中、日本軍仏印進駐とともに、タイが占拠。
★1959年、カンボジアが国際司法裁判所に領有権問題を提訴。
★1962年、国際司法裁判所はカンボジアの主張を認めた。
 タイは領有権を留保としながらも、裁定に服した。
 プレアビヒア遺跡がカンボジアに帰属することが確定。
ということで、タイは納得しないながらも、遺跡はカンボジアに帰属するということになったわけですが、この遺跡の地理的な条件が問題を悪化させているようです。
まず、遺跡の周辺の土地に関しては、まだ、領有権が確定していない部分があるということが、トゲのように、ひっかかっているようですが、それに加えて、この遺跡は標高657mの山上遺跡で、なんとタイ側が正面入り口になっているというのです。
つまり、カンボジア側は断崖絶壁、遺跡に入るにはタイ側が入らなければならないようなのです。
このことは、経済的なことだけ考えれば、プレアビヒア遺跡がカンボジアの領有権であっても、タイ側から行く必要があるならば、タイの地元には観光収入が期待できるわけですから、世界遺産に登録されてもいいんじゃない?って思うかも知れませんが、タイ政府としては、プレアビヒア遺跡はタイ側からしか入れないんだから、やっぱりタイの領有権と考えるほうが自然じゃないかと思うんでしょうし、タイがプレアビヒア遺跡の観光開発に協力するということは、カンボジアの領有権を認めることになるから、嫌なんだと思います。
今回、カンボジアはプレアビヒア遺跡の管理計画を世界遺産委員会に出したようで、そのことでタイは世界遺産条約からの脱退を決めたようです。このような形で、タイが世界遺産条約から脱退するのは残念ですが、領土問題、領有権問題は、なかなか難しいなぁと思わせられるできことでした。

タクシン元首相とカンボジア

今日、iPhoneを使ってAssociated Pressの東南アジアニュースを見ていたら、タクシン元首相がカンボジアの経済アドバイザーになったという内容の記事がありました。

フンセン首相の個人アドバイザーにも。

タクシンがカンボジアと仲良くしている?

これって、タイから見ると、すごく感じ悪いですよね。

タイとカンボジアは国境を接する隣国ですが、タイにとっては何かとトラブルがある国。

このため、タイは駐カンボジア大使をタイに召還し、両国間は緊張状態に。

ASEANはタイとカンボジアに対して自制を促し、加盟国にも平和的解決への協力を要請。

タイ政府も冷静に行動しないと、タクシンの思うつぼ、です。

武力紛争はどちらの国にとってもマイナス。

得するのはタクシン元首相ですから、よーく考えて欲しいですね。

カンボジアの置き屋!?

昨日の午後、日本テレビで「親に売られた子どもたち」という番組が放送されていました。

ナビゲーターは菅野美穂さん。

番組中登場する9歳の少女は、6歳のとき、麻薬中毒の父親に売春宿に売られてしまったという過去を持ち、現在、NGOが運営する施設で生活していました。

その少女は7歳のとき売春宿から救出されたようですが、父親は刑務所で死亡したとのことでした。

その9歳の少女には8歳の妹がいて、現在は、姉妹で施設で生活していると言います。

少女たちはお母さんと住みたいと言っているけれど、母親は娘とは一緒に住めないと…

不思議に思った菅野さんは、母親がいるところに少女たちと行ってみると、そこでは母親がすでに別の男と住んでいて、その男の子を身ごもっていることがわかりました。

 

という感じで、カンボジアの少女売春の問題を中心に構成されている番組でしたが、いろいろと考えると、結局、貧困を解消し、教育を普及させなければ、根本的な解決はできないのではないかと思いました。

番組ホームページから、CCASVAというNGOへのリンクがありました。たぶん、少女たちが生活しているのは、このNGOの施設なのではないかと思います。興味がある方は、探してみてください。

また、ボランティア活動に興味がある方は、他にも色々な活動をしているNGOもあると思いますので、自分で調べてみてください。たしか、カンボジアの子どもたちにPCを教える活動をしている日本の学生たちが作ったNGOもあったと思います。だいたいのNGOが、ホームページなどを通して活動内容の紹介や寄付の方法の案内を広報していると思いますので、検索してみてください。

 

 

 

 

地雷除去機ミニカー

 

タカラトミーから地雷除去機の「トミカ」が発売されたそうです。

1台378円(税込)。

2009年3月末までの販売個数に対して、タカラトミーから1個あたり5円、

本物の地雷除去機を作っているコマツからも1個あたり5円が

NGO「日本地雷処理を支援する会」に寄付されるそうです。

 

僕は2005年に観光でカンボジアに行きました。

お土産を買おうと思ってマーケットに行くと、街角には松葉つえをついた

男性がたくさんいました。そして、外国人観光客をみつけると、彼らは

集まってきて物乞いをしていました。地雷のため、傷つき、仕事をすることも

できなくなり、そのような生活に追い込まれている現実を見て、

やりきれない気持ちになったことを覚えています。

 

高性能な地雷除去機ができて、すべての地雷を除去してくれたら、

これ以上、被害者を増やすこともなくなるだろうに…。

 

トミカを買わなくても良いんです。

寄付を考えるなら、直接、日本地雷処理を支援する会に寄付する

方法もあります。トミカは、地雷のことを考えるキッカケ。

これを見て、地雷があること、そして日本の企業やNGOも、

地雷除去のための国際貢献の努力をしているということを

知っていただければと思います。

 

日本地雷処理を支援する会ホームページ

 

 

トンレサップ湖

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テレビを見ていたら、カンボジアのトンレサップ湖(Tonle Sap Lake)が出てきて、懐かしく見ていました。
2005年1月にプノンペンとアンコールワットを見てきたわけですが、その直後のブログには、アンコールワットの写真ばかりで、トンレサップ湖はご紹介していませんでした。
詳しいトンレサップ湖についての情報は、カンボジア政府観光局トンレサップ湖のページを見ていただくことにして、ここでは、バッテリーが並んでいる水上の家の写真をご紹介します。
水上で生活している人たちは、自動車用のバッテリーを持って生活しているわけですが、それじゃ、そのバッテリーはどこで充電するのか?という疑問がわくはずです。たまたま通りかかった家(というか店?)には、このように、自動車用のバッテリーが並んでいました。
ここは、バッテリー屋さんなんでしょうね。そして、もしかしたら、充電もこういうところでしてくれるんでしょうか。
現代の生活では、やはり、まったく電気製品を使わずに生きるのは難しいってことでしょうね。
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アンコールワット -3-

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第2回廊です。

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第2回廊から第3回廊に上がる階段です。かなり急な階段で、危険な感じがしましたが、なんとか無事に登ることができました。

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第3回廊にも、デバターがたくさんいました。

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第3回廊で、若いお坊さんと欧米人女性が座り込んで話をしていました。どちらかと言うと、その女性が英語で若いお坊さんに、いろいろと質問をしているようでした。外の写真をとろうとしたら、お坊さんは、自分の袈裟を着直し始めました。目の前に欧米人女性がいるにもかかわらず、別に恥ずかしがるわけでもなく、ふつうに着直していました。さすが、煩悩がないから平気なのでしょうか。

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アンコールワット -2-

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アンコールワットのレリーフ(第1回廊)です。

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レリーフの一部が黒くなっているのが、サンスクリット。写真がブレていますが、サンスクリットの写真が他になかったので掲載しておきます。たぶん、拓本を取るために黒くなるのではないかと思いましたが、単に人々が手で触って、手の油で黒ずんでいるのかも知れません。そう言えば、女神デバダー(写真上)の胸も黒くなっていました。

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アンコールワット -1-

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アンコールワットは、ヒンドゥー教。12世紀前半に、スールヤヴァルマン2世によってつくられたと言われています。

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このとき、アンコールワットの西参道から西塔門に向かう部分を上智大学のミッションが修復していました。世界遺産に指定されていることから、世界中のいろいろな機関が、さまざまな修復作業で援助しているようです。

アンコールトム

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アンコールトムは、12世紀頃にジャヤヴァルマン7世によって作られたと言われています。アンコールワットがヒンデゥー教であるのに対して、このアンコールトムは仏教です。この写真はバイヨン寺院。壁のレリーフが有名ですが、韓国のツアー客があまりにも多くて、なかなか良い写真が撮れませんでした。

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