昔、某外資系コンピュータ会社の人が僕が勤めている会社を訪問してきたことがあった。たしか午後3時くらいの約束だったと思うのだが、紺のスーツを来た人が2人、ぴったりとその時間に、1分の狂いもなく訪問してきた。仕事で他社を訪問するようなとき、早く着いても相手先の前の仕事が終わっていないかも知れないし、遅く着いても後の仕事に影響を与えてしまうかも知れない。そう考えると、約束の時間ぴったりに訪問するということは相手に対する最大の敬意の表れであり、礼儀なのだろうと、そのときはすごく感心した。そこまでぴったりの時間でなくても、日本では、約束の時間通りに行くか、少し早めに行くということは常識で、少しでも遅れそうなら、電話を入れて遅れることを詫びて到着予定を伝えることがビジネスマナーとなっている。世の中、予定通りにはいかないものだが、携帯電話が普及した今、遅れそうなときの連絡は最低限のマナーだろう。
数年前に、タイにしばらく住む機会があった。そして、当初、タイ人の時間のルーズさに、キレた。いや、呆れたというほうが正確かも知れない。たとえば「一緒にご飯を食べよう」と約束して、午後6時に待ち合わせしたとする。僕は約束の場所に早めに行って、周辺のお店などを見て歩きながら約束の時間を待つ。そして約束の場所には5分前に到着して、相手を待つ。ところが、午後6時になっても約束の相手は現れず、15分たっても姿が見えないので携帯に電話をしてみる。すると、「あぁ、まだ家にいます。雨が降っているので外に出られないです。気にしないでください。」
ピキっ、脳の血管が切れるような・・・血圧が急上昇していることが実感できる。なんで雨が降っていると外に出られないのか。6時に約束したじゃないか。「気にしないでください」って、お前のセリフじゃないだろう・・・。そういう思いが脳の中を駆け巡るが、タイ人の考えは違う。彼らの中では「行かないと言っているわけではないから、怒ることはない。雨が降っているのに、無理して今、出歩くと濡れてしまうし、行くのも大変だ。もう少し待てば雨は止むから、ちょっと待ってくれれば良い。」
タイ人が「渋滞していたから」とか、「友だちが遊びに来たから」とか、いつもテキトーな理由を言いながら遅れてくることに、最初のうちは、怒ったり、呆れたりしていたが、あるとき、ぼくはなんでそんなに時間にこだわっているのだろうと思った。1分という時間は、タイ人にとっても日本人にとっても同じ長さの時間だけど、その使い方に大きな違いがあるように感じた。日本人は、その時間を効率良く使いたい、損をしないように使いたいと考えているのに対して、タイ人は時間をゆったりと、贅沢に使っているように思えた。タイ人にとっては、常に自分が楽しく、気分が良いような時間の過ごし方ができれば良いわけで、約束を守るために、土砂降りの雨の中を外に出るというのは、楽しくも嬉しくもないことなのだ。そんなタイ人の生き方を見ているうちに、なんだか、自分の時間の使い方がケチ臭い気がしてきた。
西欧化とともに経済発展してきた日本は、欧米の価値観「タイム・イズ・マネー(時は金なり)」を信じて、時間を効率良く使うことが善であると教えられてきた。でも、考えてみると、マネー(お金)が「幸せ」とは限らない。もちろん、仕事をするときには効率が重要だけれど、プライベートの時間まで効率に縛られる必要があるのだろうか。日本人は海外からの物を取り入れて、それをより良い製品にするのが得意だが、欧米から入ってきたタイム・イズ・マネーという価値観を過剰に取り入れてしまっているのではないだろうか。
欧米人のライフスタイルを観察すると、実はオンとオフの時間の切り替えを上手くして、オフのときにはゆったり時間を過ごしているように見える。僕たち日本人は、いつもオンの状態で走ろうとしているのではないだろうか。もっとオフの時間の楽しみ方を学ぶべきなのではないだろうか。そういう意味で、タイ人はゆったりとした時間の使い方を僕たちに教えてくれる先生である。