タイ旅行写真日記(2002年7月)
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7月26日(金)
サムイ島最終日。帰りの飛行機は午後9時発。ということは、きょうもまる1日、観光に費やせるわけだ。ホテルの朝食を済ませ、車でBig Buddha近くにある船着き場に行った。10時頃到着。パンガン島まで片道100バーツのチケットを購入。テーブルに座って水を飲みながら船を待った。10時を過ぎると、ぞくぞくといろいろな車で乗船客が到着。白人旅行者が半分以上。残りは、現地のタイ人と僕たち日本人二人。どこに行ってもいる日本人なのに、他に日本人観光客がいないというのも不思議な気分。でも、サムイ島では、あまり日本人観光客を見ていない。Chaweng beachの繁華街あたり、夜になれば、若干、日本人観光客を見るものの、バンコクではあちこちでみかける日本人が、サムイまでは来てないようだ。
そんなことを考えているうちに船が桟橋に着き、乗客が降りてきた。パンガンからサムイに戻っていた人たちだ。乗客が降りて、すぐにパンガンに向かう乗客が桟橋を船に向かって歩き出す。この桟橋、こんな簡単で良いの?というくらいのもので、船に近づくにつれて、かなり揺れるようになり、キケンいっぱい。もちろん、手すりなんてないので、簡単に落ちることができる。開発途上国では、どこに行っても自己責任。手すりがないから落ちたと言ってクレームする文章力を養うより、少しくらい桟橋が揺れてもバランスを崩さないような平衡感覚を身につけておくべきなのだ。
船に乗って約1時間。パンガン島に到着。この船着き場の名前は、Haadrin。サムイからは、いつくか別の船着き場からパンガン島に向けたボートが出ているようで、Big BuddhaからはここHaadrinに着く。
パンガン島のメインストリート? うーん・・・もしかしたら、他の船着き場から着くと、また、別の繁華街があるのかも。しかし、僕たちが見た範囲では、このあたりが一番賑わっていた。ビーチサイドには、バンガローが建ち並び、白人旅行者が泊まっている姿がたくさん確認できた。
ビーチの木陰を見つけ、ニベアの日焼け止めローション(SPF50)を入念に体中に塗ってみた。せっかくビーチに来たのだから、ちょっとくらい海に入ってみたいわけだが、こんなに紫外線が強い世界。そのまま入ったら、全身やけど状態になってしまいそう。というわけで、サムイ到着の日に買ったニベアの日焼け止めローションを塗って、ドクターMと交代荷物番をしながら海に入った。このビーチの海は、あまり透明度は高くなく、濁っていたので、何も見えなかった。珊瑚礁もない。うーん・・・海に入ったのは良いけれど、珊瑚礁もみたいなぁ。
そこで、ビーチでの水遊びは早々に切り上げて、またメインストリートに戻った。メインストリートには、ボート・タクシーの客引きがたくさんいた。ドクターMは得意の英語で、怪しげなおじさんに珊瑚礁に行きたいと言って交渉。おじさんは、たぶん、ドクターMの言っていることを理解しておらず、それでも50バーツと値段を言っていた。ドクターMは交渉成立という雰囲気で、うんと頷いておじさんについて歩き出した。かなりあやしいコミュニケーションだと思ったが、それでも、ちょっとボートに乗って島の周りを見たかったので、僕も黙ってついていった。
おじさんの案内で、さっきのビーチに、たくさん並んでいる船の中の一つに乗せられた。他の船より、一回り大きく、しっかりできている感じ。でも、おじさんは、ちょっと待てという仕草をして、また客引きに行ってしまった。オイオイ。これ、ボートタクシーじゃないの? たくさんのお客さん乗せるなら、バスじゃないの? そう思いながらもなんとなく10分ほど待っていると、バタバタと白人観光客とアジア人の乗客が乗ってきた。ボートタクシーのおじさんの仲間らしい若いお兄さんも一緒に乗って、船は出発した。
このボートタクシーは、パンガン島の離れたビーチを結ぶ乗り物で、だいたい長い1区間で50バーツという明朗会計(?)らしい。
結局、3つめのビーチあたりまで行ってみたが、珊瑚礁らしいものは見られなかった。それでも、パンガン島の美しい自然や、それぞれのビーチにはバンガローがあったり、何もなかったりと、パンガン島の作りが少しわかったような気がしたので、今日のところは、これで満足ってことにした。若いお兄さんのほうが英語がちょっとできるので、「Go back to Haadrin?」というので、「チャイカップ。クラップ・バーン」と言ったら、お兄さんも「クラップ・バーン!」と言った。
Haadrinの船着き場まで戻ってきたところで、帰りの船がでる2時半まで40分以上時間があったため、ちょっと食事をすることにした。料理を2種類くらい頼んでご飯を注文。もちろん、シンハービールも注文した。食べ終わったときは出発まで後10分くらいになっていた。ちょっと急いで船着き場に行ったが、別に慌てる必要もなく、他の乗客も、まだノンビリと飲み物を飲んだりして乗船開始を待っていた。
僕たちのパンガン島ツアーは無事に(?)終了して、午後3時30分頃には、Big Buddhaの船着き場に戻ってきた。ホテルはレイトチェックアウトにしてあるが、荷造りもしなくてはならないし、ドクターMは、ホテルのプールに入りたいというので、まっすぐホテルに戻ってきた。僕は、わざわざ小さなプールに入らなくても良いと思ってパスしたのだが、ドクターMはホテルにある無料の施設・設備は全部使ってみないと気が済まない性分なのだ。「元をとる」というのが彼のポリシーだ。十分元を取っていると思われるときでも、最後まで絞り取ることが、彼にとってはゲーム感覚があり、喜びのようだ。僕は先に部屋でメールチェックをして、それから荷造りを始めた。
荷造りを済ませて午後6時にチェックアウトした。レンタカーにちょっとガソリンを給油して、それから車を借りた旅行代理店D&Dに行き、車はまだ返さずに荷物だけを預かってもらって、Chaweng Beachに行った。マクドナルドの裏側が駐車場になっているので、そこに車を停めて、ドクターMはひたすら歩き出した。Chawengには食事に来たはずが、実は、昨日、Lamaiで見た木製品を探して歩いていたのだ。車で走行中、街の中で見た雑貨屋みたいなところを目指して、彼はひたすら進んでいったが、時間がなくなるから戻ろうと諭し、結局、また15分くらいマクドナルドまで歩き、Chawengでは何もせずにD&Dに戻った。
D&Dから空港まで送ってもらい、チェックインを済ませた後、空港真ん前にある食堂に入った。見た目は、ぱっとしないし、空港前という立地から、あまり期待しなかったが、なかなか美味しい料理だった。しかも安い。僕は、The Poppiesなんかより、こういうところの方が、ずっと好きだと思ったりした(笑)。
飛行機は定刻にサムイ島を出発。無事にバンコクに到着。日本に発つまでの時間は、あと30時間ちょっとというところ。例によって、シーロムのソイ4に突入した。
7月27日(土)~28日(日)
土曜日はバンコク最終日。日曜日は、飛行機が午前7時発なので、ホテルを4時30分に出発する予定だった。そこで、きょうはドクターMとは、昼間は別行動にした。買いたい物、やりたいことが異なるので、いっしょに回ると時間が足りない。
僕はOn Nutの駅前にあるLotusに行こうと考えていたが、ちょっと遠いので諦めた。ワールドトレードセンターの向かい側にあるナライパンというところは、タイの伝統工芸品などが集まっているお土産ショッピング・スポットなのだが、ここの裏側というか、以前、飲茶したArnoma Hotelの裏のほうにBig Cというスーパーマーケットがある。とりあえず、ここでお土産ショッピング第一段を敢行。お土産のネタばれはマズイので買った物は極秘だが、スーパーで売っているものだから、たかが知れている(笑)。続いて、ナライパン。うーん・・・いろいろあるのだけれど、なかなか、琴線に触れるようなものがない。ここには過去に何度も来ているし、あまりふつうのものを買って帰っても、それほどうけないんだなぁ、日本で。ということで、時間をかけて見て回ったけど、ちょこっとだけ買って終了。
スーパーで買った大荷物を持って急いでホテルに戻った。ホテルでは、ちょっとメールチェックしたりしてから、荷造り開始。
しかし、不思議だ。昨日までは大した買い物はしていないし、日本から来たときは頼まれた物をこっちに持ってきて人に届けたり、お土産をあげたりしたのだから、スーツケースの中はガラガラになってもおかしくないハズなのに、なぜか、いっぱいな感じ。うーん。詰め方が甘いのか。荷物を一旦外に出したりして、入れ直す。スーパーでの買い物など、なんとかスーツケースに押し込み、服も、なんとか入ってくれた。が、本は確かに増えていた。カセサート大学のニヤーダ先生にいただいた本もあるし、僕の愛読している現地フリーペーパーのDACOもバックナンバーまでゲットしてしまったので、重量的には増えている。それでも、なんとか工夫してだいたいの荷造りを終えたのが午後4時少し前。
最後の有馬温泉に行こうと、有馬温泉にナンちゃんの予約電話を入れたところ、今、仕事中だという。5時なら予約OK。そこで、5時に有馬に行くことに。そこにちょうど、T大の日本語の先生Sさんから電話。エンポリアムにいるから、今からシーロムまで会いに来てくれるという。お手数をおかけします。感謝。シーロム・コンプレックスのChester’sとかいうところで、ちょっとお茶してみる。この間のアユタヤ旅行の写真などをいただいたり、見せていただいたりして、楽しくおしゃべり。有馬温泉にいっしょに行きたいということで、有馬までご案内。「お邪魔じゃないかしら」とか言われたが、別にマッサージに行くので邪魔になんてならない。ただ、友だちと行くと、ナンちゃんの爆笑トークが炸裂することが判明。そう言えば、去年もいっしーくんと来たとき、ナンちゃんは好き勝手なトークをしていた。うーん・・・。僕が一人で来るときも、ときどきは変なトークしていて笑わせられるが、いっしょに他のお客さんがいると、そのトークはパワーアップされる。人のことをブタとか、お父さんとか、いろいろ好きなことを言ってSさんを笑わせていた。でも、まぁ、マッサージが気持ちいいから、勝手にしろって感じかな。途中で、サムイ疲れもあって、居眠りして、ちょっといびきかいたらしい。ナンちゃんに寝てたでしょ?と指摘された。いいじゃん、いつも寝てるじゃん。ふ~。
マッサージは無事に午後7時頃、終了。SさんとはBTSスカイトレイン駅近くで別れた。例によって、T氏とドクターMと待ち合わせて夕食。夕食後は、ドクターMとは別行動となり、T氏と僕はいつものパターン。最後には、またまた、ソイ4で合流して、お開きとなり、ドクターMと僕はホテルに戻り最終荷造り。午前2時頃、ドクターMは就寝。僕は最後のメールチェックして、パソコンをしまい午前3時に就寝。午前4時起床。軽くシャワーを浴びて、忘れ物チェック。4時30分チェックアウト。
タクシーに乗ると、いつものようにメーターを使おうとせずに350バーツと言ってきた。ドクターMが「メーター」と言っても350バーツと言っていたので、僕が「メダーイ!」と言ったら、ピッとメーターのスイッチを押した。タイ人は英語でごたごた言っても何を言われているかピンと来ないので、なかなか言うことを聞かないが、タイ語で一言「メダーイ」というと、結構、効き目ありって感じ。結局は、高速道路40バーツ、有料道路30バーツに加えて、タクシーのメーター的には180バーツくらいだったのでチップ込みで200バーツを払ったので、270バーツ。最初のタクシーのおじさんの言い値から80バーツ安いだけなので、350バーツという数字も大してふっかけられているわけではないが、それでもタクシーの運転手はメーターを使いたがらない。もしかしたら、メーターを使わないと売上をごまかせるとかいう別の理由があるのかも知れない。タイ語ができたら、その辺の真相を聞いてみたいものだ。
UAの飛行機は、成田経由で、シアトル、デンバーと行く飛行機。途中で航空機は変わるが、預かった荷物はそのままアメリカに向かって行くので、まず、チェックインカウンターの前に、テーブルが並んでいて、すべて荷物を開けて調べている。うーん・・・UAを選んだのは僕だから仕方ない。荷物を開けて、好きなように調べてもらう。その後、ご丁寧に、X線まで通す。うーん・・・。2重チェックってことか。ドクターMは、ビジネスクラス、こちらはエコノミークラスと、ベツベツにチェックイン。チェックインしてしまうと、することがないので、出国手続きをする。空港使用料500バーツを支払って出国手続きをする。中に入ると、免税店が立ち並んでいたり、KFCがあったり・・・。でも、まともそうなレストランはまだオープンしてない。そりゃ、そうかもね。まだ6時だから。ドクターMはUAのラウンジでゆっくりくつろいでいる頃、僕は像のチョコ買ったりしたあと、KFCでコーラを飲んだ。コーラ・・・ん?30バーツくらい取られたかも。かなり高い。やっぱり、タイのファーストフードは高い。
ゲートに行く途中、ドクターMに遭遇。セキュリティチェックでは、手荷物がX線で検査され、体は金属探知器で調べられる。しかし、UAのゲートに着くと、まず、また荷物を厳重チェック。すべて開けて調べられる。荷物の検査が終わると、今度は靴を脱いで台の上に上がらされる。そこでまた、金属探知器による全身のチェック。UAも9.11では大きな被害を受けたため、これくらいのセキュリティをしないと安全な運行ができないと判断しているのだろうけれど、なんか、そういうことだけじゃないんじゃないかと思ったりもする。
飛行機は定刻出発。日本時間7月28日午後3時30分頃、成田空港に無事に到着。ドクターMはビジネスクラスなので、預け入れた荷物も早く出てきて、先に税関も済ませて外に。僕が、まだ荷物が出てくるのを待っていると、携帯電話がなった。「もう外に出たんだけど、スカイライナー、ぎりぎりで乗れそうなんで・・・」「はいはい。どうぞ、乗ってください」というわけで、ドクターMとは一緒に旅しているようで、まったく別の旅行者のような旅だった。でも、これ、結構、良いんだよね。まったく一緒の行動を取ろうとすると、かなり大変なので、別行動が多いことはお互いに自由度が高という意味で、それは良いことなのだ。しかし、あまりにも別行動が多いと、いっしょに旅行したとは言えないような気もするけどね。
僕は成田から自分の街までのリムジンバスが午後4時5分発ということで、これに乗って戻ってきた。日曜日だったこともあって、あまり渋滞せずに、午後6時過ぎには家に着いていた。ほっ。3週間のタイ旅行・・・なんだったんだろう。再会した人、初めて会った人・・・いろいろな日本人、タイ人に会うことができ、勉強にもなったような気がする。そう・・・勉強もしないと。タイ語をはじめ、いろいろな勉強が必要なことを痛感した。次の訪タイはいつだろうと思いながら、日本という現実に戻ってきた自分を意識しはじめた。
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