お土産はサッカーボール

夏休みや春休みの期間中、大学生のグループが開発途上国に行って、その国で様々な分野の支援活動をしているNGOなどを訪問することがあります。NGOなどの機関が自ら主催するスタディ・ツアーもありますが、大学や大学内の先生が中心となって計画されるフィールドトリップなどもあります。

以前、大学生のために、タイのフィールドトリップの計画を立てたことがありました。飛行機やホテルの手配は大学に出入りしていた某大手旅行会社でしたが、その担当者はほとんど何もせず、計画や訪問先の手配はすべて僕が行いました。その担当者はその旅行会社のバンコク支店に僕が作った旅程表を送ってバスの手配を頼んだりする連絡係みたいなもので、ほとんど働いてくれませんでしたが、その旅行会社の現地のバスは大きくて乗り心地は良かったです。
タイのフィールドトリップでは、様々な事情から子どもたちが親から離れて共同生活しているような施設を訪問することも多かったのですが、そのとき、訪問の前にツアー参加者と話し合うことは、訪問先の子どもたちとどんなアクティビティをするかということでした。単なる訪問者として、施設を見学するのではなく、子どもたちと一緒に遊んだり、話をしたりすることで、人と人との交流を体験して欲しいというのが僕の願いでした。
こういうとき、学生たちからも色々と意見が出ますが、一緒にスポーツをしたり、折り紙をしたりというのが定番です。言葉の壁があるため、あまり複雑な話もできないので、とにかく一緒に何かをしたり、遊んだりしながら、仲良くなるということを考えるわけです。折り紙は日本で買って準備していきます。でも、スポーツは何がいいでしょうか。いろいろと考えているうちに、野球にはいろいろな道具が必要だということに気づきます。最低限バットとグローブ、ボールが必要で、それ以外にもベースなどが欲しくなります。それに比べて、サッカーはボール1つあれば、たくさんの人たちが遊べます。ボール1個と広場さえあれば遊べるというのは、サッカーの利点です。
以来、大学生と一緒に行くフィールドトリップでは、子どもたちとの交流がある場合には、サッカーボールが定番アイテムとなっています。バンコクのBig Cなどのスーパーに行けば、いろいろな種類の手頃な値段のものが売られていますから、日本から持って行かなくても大丈夫。2個くらい買って行けば、子どもたちと楽しい時間も過ごせるし、お土産としても喜ばれます。もちろん、サッカーが好きではない子どももいるので、それ以外のアクティビティも考えて準備して行きますが、タイの子どもたちとするスポーツとしてはサッカーがイチオシです。
タイに限らず、開発途上国や貧困層が大きい国や地域では、ボール1つでできるサッカーが子どもたちの間でもとても普及していると思います。もしも、いつか、どこかの国や地域の子どもたちを訪問して一緒に遊ぶ機会があったら、子どもたちの笑顔を想像しながら、サッカーボールをお土産のリストに追加することを検討してみてください。

星になったスーちゃん

2011年4月21日、元キャンディーズの田中好子さんが永眠されました。

21日の夜、Yahoo!Japanのトップページにニュースヘッドラインをスーちゃんの訃報を見つけた時、一瞬、誰のことかわからなくなるくらい混乱しました。そしてニュースをよく読んで、あまりにも突然の訃報に言葉が出ませんでした。
僕はファンというわけではなかったですが、キャンディーズの活躍をリアルタイムで見ていた一人です。日本の歌謡界のアイドルブームの走りという時期に、脱兎のごとく駆け抜けていったキャンディーズでした。最近、ドラマではお母さん役が多かったですが、ある時はとても優しいお母さん、時にはとても厳しいお母さんと演じられていて、とても良い女優さんでもありました。
先ほど、つい懐かしくなり、YouTubeでキャンディーズの曲を探して、一緒に歌いました。不思議なほど、ほとんどの曲を知っている自分に驚きました。YouTubeのコメント欄にも、若い人から昔からのファンの方まで、たくさんの人たちが、スーちゃんの冥福を祈っているメッセージを書き込んでいるのを見て、彼女はこんなにも多くの人たちに愛されていたんだなと気づかされました。
スーちゃん、ありがとう。
田中好子さんのご冥福をお祈りします。
※YouTubeで見つけたキャンディーズの曲をご紹介します。アップロードされている動画が削除された場合には、ここでクリックしても再生されません。そんなときには、YouTubeに行って、「キャンディーズ」で検索してみてください。きっと、たくさんの動画を見つけられると思います。

「あなたに夢中」 (デビュー曲 1973.9.1)
そよ風のくちづけ」 (1974.1.21)

「危ない土曜日」 (1974.4.21)

「なみだの季節」 (1974.9.21)
「年下の男の子」 (1975.2.21)
「内気なあいつ」 (1975.6.1)
「その気にさせないで」 (1975.9.1)

「ハートのエースが出てこない」 (1975.12.5)

「春一番」 (1976.3.1)

「夏が来た!」 (1976.5.31)
「ハート泥棒」 (1976.9.1)

「哀愁のシンフォニー」 (1976.11.21)
「やさしい悪魔」 (1977.3.1)

「暑中お見舞い申し上げます」 (1977.6.21)

「アン・ドゥ・トロワ」 (1977.9.21)

「わな」 (1977.12.5)

「微笑がえし」 (1978.2.25)

夏休みはバンコクで避暑!?

ソンクラーンも終わりましたね。

タイでは、4月のソンクラーン前後が1年の中でも最も暑い時期(暑季)です。
この後、5月以降、少し気温が下がっていきますが、今度は雨季が始まります。
と言っても、日本の梅雨のように1日中雨が降り続くという日はあまりなく、それよりは、毎日、午後に1~2時間くらい雨(ときには豪雨)が降るというのが、タイの雨季です。
バンコクでは、雨が降ると、あちこちの道路が冠水することもあり、また、雨が降ると交通渋滞は激しくなるというマイナス面もあるのですが、一方では、熱くなった地面を冷やしてくれる効果もあるので、僕は雨季に降る1~2時間の雨は嫌いではありませんでした。
この雨季は5月終わり頃から11月始め頃まで続きます。
実は、日本の5月の連休後、雨季が始まる前の5月中旬から下旬あたりも、タイに行くのに良い時期だと思っているので、ぜひ、この時期にタイに行ける方はおためしいただきたいんですが、今日、みなさんにご提案したいのは、夏休みをバンコクで過ごす、ということです。
夏には、東京電力管内では電力不足になることがすでにわかっています。そして、近年、首都圏の夏は、バンコク以上の猛暑となっています。そこで、インターネット回線があれば長期間海外にいても問題なく、経済的にも余裕がある方々には、ぜひ、素敵なバンコクライフを今夏の過ごし方として検討していただければと思います。
バンコクには、様々な価格帯のホテルもありますし、サービスアパートと言って、部屋のクリーニングなどのサービスがあるアパートなどの住居もあります。サービスアパートによっては、1日単位で宿泊も可能で、料金も1日ごと、1週間、月単位など、さまざまな形態のものがあります。インターネットの環境は、ホテルやサービスアパートによって異なりますが、各部屋にLANが来ているところ、全館にWiFi電波が飛んでいるところ、ビジネスセンターで無料で利用できるところ、など、いろいろありますので、みなさんの利用スタイルに合わせて、宿泊先を選んで泊まることが可能です。
日本人がタイに行く場合、ビザなしで30日以内滞在できますし、観光ビザがあれば3ヵ月滞在が可能になります。
きっと、また暑くなる今年の夏、バンコクで避暑というのはいかがでしょうか。

見上げてごらん夜の星を

東日本大震災があった3.11以降、数日間は民放でもCMが流れない緊急報道番組が続きましたが、数日、経ってから徐々にCMが流れ始めました。しかし、多くの企業がCMを流すことを「自粛」したために、民放各局では、AC(公益社団法人ACジャパン)のCMばかりがヘビーローテーションで流されて、ちょっと問題になりました。民放のCM枠が空いたときには、ACのCMが流れる仕掛けのようですが、ACのCMばかりが流れて、かなり耳障りな状況に陥って、CMに出演しているタレントの方も困惑していたりしました。あのとき、なぜ、民法は自社で復興支援のCMを制作して、空いている枠に流せなかったのか… そういうセンスがないのか… とにかく、インターネットで動画配信されるようになったり、様々なメディアが登場するようになって以来、東京の民放キー局は売上を落としてきていると思いますが、今回のことで、そのトレンドは加速された気がしました。
ところで、上のCM、見た方も多いと思います。サントリーが流しているCMで、「見上げてごらん夜の星を」と「上を向いて歩こう」の2曲のCMが制作されていますが、全部で30種類ほどあるようです。そして出演されているタレントは全部で71名とか。ノーギャラだと聞いています。
大震災後、私たちの心は沈んでしまいました。何もする気が出ないという方も多いでしょう。
でも、私たちはこの苦難を乗り越えて、国を復興させ、住みやすい日本を作らなければならないじゃないでしょうか。次の世代の日本人のためにも、良い国にしなければなりません。そして大震災で亡くなった方々にも、次もまた日本に生まれたいと思ってもらえるような国にしなければならないんだと思います。
さぁ、歩きだしましょう。

またいつか、ディズニーランドに

東日本大震災があった2011年3月11日の夜でした。

テレビではすべてのチャンネルで特別報道番組を絶え間なく放送し、地震と津波の被害の大きさが刻々と伝えられていた頃、そして日本中の人たちが不安な気持ちに沈んでいた頃でした。日本で起きたこの災害のニュースは、瞬く間に世界中に伝わり、海外の友人からも安否確認のメールをもらっていたので、その返事などを書くためにインターネットを使っていました。
Facebookでメッセージを読んだり書いたりしていたとき、バンコクにいる友人(タイ人20代女性)からFacebookのチャットメッセージが表示されました。
“Are you ok?”
チャットは始めてしまうと時間がかかるので、ふだんはあまり使わないんですが、安否を心配してくれているので、「大丈夫です」と返事を返してきました。すると、彼女のタイ人の友だちが、そのとき、東京ディズニーランドにいるというんです。その頃、すべての鉄道は止まり、ディズニーランドがある浦安市は広範囲にわたって液状化していました。
「友だちがディズニーランドにいます。
 彼女は日本語がわからないです。
 Nobosamaの携帯電話番号を教えて良いですか?
 彼女を助けてあげてください。」
携帯電話の番号を教えてもらうことはかまわなかったのですが、そのとき、僕が住んでいる埼玉県も携帯電話の着信規制が行われていて、ほぼ通話できない状況でした。どうやら、その旅行中のタイ人は、バンコクに住む僕の友人に電話をして、どうしたら良いか相談しているようでした。
日本語がわかる日本人でさえ東京でも大混乱になっている頃でした。帰宅難民と呼ばれる人々が、一時的に避難する場所を探したり、自宅まで歩いて帰ったりしている状況でした。しかも、そのような状況になっていることは、自宅でテレビを見ていたから分かることで、自分が帰宅難民になってしまっている人たちは、この混乱の全貌がまったく見えない状況だったと思います。まして、日本語がわからないタイ人は、一体、日本はどうなってしまったのかが分からない状況だったのではないかと思います。
もしかしたら、SMSは使えるかも知れない。そう思って、僕はバンコクにいる友人に、僕の携帯電話番号をその人に教えるように伝えて、SMSでメッセージを送るように伝えてもらいました。しばらくして、ディズニーランドにいるタイ人からSMSが来たので、東京周辺の鉄道がすべて止まっていること、ホテルにもどる方法はタクシーやバスになること、しかし、それらの交通機関も混乱しているので使えるかわからないことなどを伝えました。その後、何度かSMSでメッセージのやりとりをしてみて、どうやらディズニーランドでは多くの人が安全に暖かい場所で避難できているようだったので、夜が明けるまでディズニーランドにいるように伝えました。
後日分かったところでは、彼女は何人かのタイ人グループで日本に遊びに来ていて、今回の大震災に遭遇したのでした。結局、彼女たちは、予定を切り上げてタイに帰国しました。
今回の地震では、携帯電話がとても脆弱な通信手段であることを思い知りましたが、彼女たちのように、たまたま日本に来ていた日本語がまったく分からない外国人にとっては、携帯電話のことだけでなく、テレビを見ても日本語がわからないため状況も理解できず、どうやって自分たちの安全を確保すれば良いかを判断するための情報も手に入れるすべがなく、とても不安だったに違いないと思います。携帯電話を始め通信会社や政府には、これを教訓に携帯電話の災害対策と外国人向けの緊急情報伝達システムの整備を考えて欲しいと思います。
数日後、彼女からはお礼の言葉とともに帰国した旨の知らせと僕の安否を確認するSMSメッセージが届きました。昨日から東京ディズニーランドが開園していますが、彼女たちにも、また、いつか機会があったら、もう一度、東京ディズニーランドに来て、夢の国を楽しんでいって欲しいと思います。

Ziplocでソンクラーンを乗り切る!?

ソンクラーンはタイのお正月です。

毎年4月13日から15日は祝日となりますが、今年はその後に土日が続いているため17日まで連休となります。地方からバンコクに働きに出てきている人たちも、一斉に帰省するので、バンコクの人口は一時的に減り、多くの会社やお店は休業となります。
でも、バンコクにいる人々もそれぞれにソンクラーンを楽しんでいます。
まず気をつけなければならないのは、外出時の防水対策です。ソンクラーン時期に外を歩いている場合、どこから水鉄砲に狙われるかわかりません。しかし、水をかけられて怒るのは無粋です。ソンクラーンは別名、水かけ祭なのです。水をかけられることが当たり前。外出するときは、その対策をしていきましょう。
まず貴重品、特に携帯電話やデジカメはZiplocなど、密閉できるビニール袋に入れておきましょう。服やバッグなども水に濡れてしまっても傷まないものを選びましょう。もちろん、靴も濡れる可能性があります。サンダルで歩きましょう。また、白い粉を水で溶いたものを、顔に塗られることがあります。あきらめましょう。その際、服も白くなりますが、どうしようもありません。特に、カオサンやシーロムなど、ソンクラーンを楽しむ若者が集まる地域に近づく場合、それなりの覚悟が必要です。というか、TukTukでカオサンに行くと大変なことになると思います。自動車で近付いても、白く塗られるので、後で洗車が必要になります。でも、お祭りです。笑って水に流しましょう(笑
もしも、そういう被害に会いたくないなら、食料を買い込んで家にこもっていましょう。でも、せっかくのソンクラーンですから、ちょっとくらい水をかけられたほうが楽しいかも知れません。特に人が集まる地域でなければ、それほど激しく水をかけられることは稀です。特に、外国人で嫌がる人に対しては、水をかけても楽しくないので、たぶん、あまりたくさんはかけてきません。とはいえ、どこに行っても、水鉄砲の危険性はあります。だから、水をかけられるのを恐れるよりも、万全の対策をして外出したほうが、この時期を楽しく過ごせます。ぜひ、Ziplocを準備してください。

Theravada Buddhism ~上座部仏教~

言うまでもありませんが、タイは国民の94%が仏教を信仰している仏教国です。(ちなみに、イスラム教徒は5%、キリスト教徒は1%)でも、タイで見る仏教は日本の仏教とは違うと感じている人も多いと思います。

仏教は大きくは2つに別けることができ、その一つが、タイ、ミャンマー、スリランカなどで信仰されている上座部仏教(上座仏教ともいう)で、英語ではTheravada Buddhismと言われているものです。一方、日本や中国、チベットで信仰されている仏教は大乗仏教(Mahāyāna Buddhism)と呼ばれます。この大乗仏教に対して、上座部仏教を小乗仏教と呼ぶ場合もあるようですが、これは大乗仏教側からの呼称で差別的と考えられる向きもあるので、上座部仏教または上座仏教と覚えておいたほうが良いでしょう。
タイで生活していると、よく「タンブン」という言葉を聞きます。この「タンブン」は言うならば「徳を積む」ということです。曜日や自分の誕生日にお寺に行って行う、喜捨や寄進もタンブンだし、自らが出家することもタンブンとされています。タイ人が他人に対してとても親切だったり、世話好きなのは、このタンブンの精神が根底に流れているからで、他人のために何かすること、そういう自己犠牲の行為が徳を積むことになると考えているためです。
タイの男性は、一定期間だけ出家するということがあります。子どものうちに出家する(12歳~19歳:沙弥)場合もよくあり、大きなお寺に行くと、少年僧がたくさんいるときがあります。また、おとなになってから、一度、出家して数ヵ月を僧侶として過ごすということもあります。一度出家しても還俗が容易で、出家することがタンブンであり親孝行とも考えられているため、タイにおいて出家は珍しいことではありません。
昔、バンコクでタイ語を習っていたときに、この出家の話が出て、僕もいつか出家してみたいという話をしたことがあります。いまだに出家した経験はありませんが、そのときのタイ人の先生(女性)は、僕が出家するときには黄衣をくれると言っていました。剃髪して、早朝から托鉢をして、正午までしか食事ができない生活は、今の僕の生活とはあまりにも違いますが、出家することで心をリセットできるのではないかという期待もあります。ちなみに、出家中は働くことはできないようですが、公共の乗り物の運賃は半額になり、病院での治療は無料(病院からのタンブン)のようです。外国人の出家を受け入れているお寺もあるようで、そういうお寺に行けば、たぶん、英語が話せる僧侶に指導していただけるんじゃないかと思います。

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ちなみに、チャオプラヤ川のエクスプレスボートなどの公共交通機関で、僧侶用のスペースや席が確保されていますが、これは僧侶が女性に触れてはいけない戒を守るためだと思います。上座部仏教では、出家すると227の戒を守らなければなりません。女性に触れてはいけないのもその一つ。ですから、女性がお寺で僧侶に物やお金を喜捨するときなどは、布の上に置いてやりとりしたりします。
このように、タイで見かける仏教は、日本のそれとは違い、敬虔な仏教徒が多く、また、仏教が人々の生活の中に溶け込んでいます。タイに住む場合には、タイ人にとっては仏教が大切な存在であることを心にとめておいてください。
タイの仏教についての専門的な話に興味がある方は、ネットで調べたり、あるいはタイ仏教入門などの書籍を読んでみてください。

サクラサク

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東日本大震災から1ヵ月が経ちました。
3月11日から数日間は、すべての民放もNHKも、特別報道番組だけを放送し、しかも民放からはコマーシャルが消えていました。その後、少しずつテレビ番組は通常のスケジュールに戻ってきたものの、ニュースで伝えられることは、東北地方を広範囲に襲った災害の被害状況、東京電力の福島にある原子力発電所の問題、関東地方の計画停電などのニュースばかりで、心が沈む時が続いてきました。
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なかなか明るいニュースがない1ヵ月間でしたが、それでも桜が咲く時期になりました。いま、関東地方の桜は満開です。大震災後、多くのひとたちの心は、鬱状態になり、仕事や勉強に集中できない、あるいは、やる気が出ないという人が多いです。かくいう僕も、震災直後、新しいことをする気力を失い、震災の被害を伝えるニュースを見るばかりでした。それまで、ふつうに存在していた町や家や人々の暮らしが、あの日、あの地震と津波で奪われてしまった喪失感、無力感に押しつぶされそうな気持だったのかも知れません。
でも、桜は咲きました。春はやってきました。たくさんの物、たくさんの命を失いました。しかし、時は止まっていることなく、季節は巡っています。僕たちがその気になれば、そして時間や努力を惜しまなければ町はまたつくれるはずです。東北地方も復興できるはずです。昨年、日本のGDPは中国に抜かれて世界第3位になり、この大震災で今年はさらに日本の経済は落ち込むことでしょう。でも、僕たちが知恵を出し合い、力を合わせれば、日本はまた目覚ましい復興を遂げられる気がします。そのためには、もっとしっかりとして政治家によるリーダーシップが欲しいところですが、それが足りなくても、それぞれの地方、業界、組織の中のリーダーが活躍してくれること、個人個人が前に向かって歩みだすことで、日本は復興すると思います。
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日本は復興するとは言っても、GDPで世界第2位に返り咲くことが日本が目指す目標ではないような気がします。この大震災による原発事故と停電のおかげで、僕たちはいかに電気に依存した生活をしてきたかを思い知らされました。僕たちは、本当の豊かさとは何か、自然と共生する安全な生活はどうすれば実現できるかを考えながら、復興を進めていくべきなのではないでしょうか。
僕は「日はまた昇る」ことを信じています。
ただ、新しく昇ってくる太陽は、経済大国としての日本でなくても良いと思っています。国民が豊かに平和に暮らせる国として再生できれば、そして、世界の国々と協力し合って生きていける国であれば良いと思っています。そういう日本を再生することが、僕たちに課せられた次の世代への責任なのではないでしょうか。