「シアダイ(もったいない)」~大切にする心~

「もったいない」という価値観は日本特有のものではありません。
タイ語にも「シアダイ」という言葉があり、何かをムダにすることはとても残念なことだという価値観があります。たとえば、レストランで食事をするとき、たくさん注文して食べきれずに残してしまうことは「もったいない」と思うわけです。
ただし、我々日本人はタイ人に食事に招待されたときに、食べきれないほど料理を出されるという経験をします。残すのはもったいないなぁと思っても、とうてい食べ切れないということもしばしばです。これは、「もったいない」という日常の価値観があっても、お客さんや友人をもてなすという価値観が勝る例です。タイの場合、残った食べ物を持ち帰ることは可能な店が多いので、できれば持ち帰ってあげることで、「もったいない」気持ちを軽くすることができるでしょう。
シアダイは、日本語のもったいないと同じような場面で使われる言葉です。ただ、その「もったいない」という気持ちとは別の価値観が優先することがあります。たとえば、タイでは中流以上の家庭ではメーバーン(お手伝いさん)を雇っていることが多いです。日本人の価値観からすれば、あまり家も大きくなく、専業主婦が家にいれば、メーバーンは不要でしょう。でも、タイではメーバーンを雇うことで、雇用を創出しているということになります。お金がある人がお金を使うことで、そのお金が循環し、貧しい人にも回っていきます。お金がある人が倹約をすると、貧しい人の仕事もなくなってしまいます。だから、メーバーンを雇うことは「もったいない」ことではないんです。
タイではケチな人は嫌われます。「キーニャオ(けち)」と呼ばれてしまいます。倹約家であることが「もったいない」精神の実践者として評価されるのではなく、タイでは、人、物、お金を大切にするということが「もったいない」精神の根底に流れているのです。