報道という刺激

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※写真は去年のクリスマスのとき、バンコクのセントラル・ワールド・プラザで撮影したものです。
 本文とは関係ないですが、さびしいので再掲載してみました(笑)
ふだん、僕はブログとかmixiの日記には、あまり政治的なことや、生々しい時事問題については書かないんですが、最近、幼い子の誘拐についての報道を見るにつけ、とっても心配になっているので、一言、書いておこうと思います。
僕の心配はとてもシンプルなことで、誘拐報道をすると、同じような犯罪行為をしたいと思っている人に刺激を与えてしまうということです。
テレビのニュースで誘拐事件に関する報道が繰り返されると、ほとんどの人の場合、恐ろしい事件が起こるものだと憤り、被害者に同情し、犯人を憎むという気持ちを持つと思います。しかし、もしもその事件の犯人と同じような犯罪行為をしたいと思っている人がニュースを見たとしたら、どう思うでしょう?
大学の学部の頃、僕は社会学を勉強していました。
その頃、カリフォルニア大学サンディエゴ校のDavid Phillips教授の『自殺論』の授業を受ける機会がありました。Phillips教授は、新聞の第1面に自殺記事が掲載された直後の自殺者数と、それ以外のときの自殺者数を比較して、統計的に、新聞の第1面に載った自殺記事が自殺志願者に影響を与えて自殺数を増やしていることを証明しました。そして、自殺記事と交通事故(死亡事故)の発生、自殺事故と航空機事故の発生の関係も調べ、影響があることを証明していきました。(単なる交通事故と思われているケースでも、本人は自殺しようとして無謀な運転をして死亡するということもあるということです。)
アメリカでは、この研究で自殺記事と自殺者や死亡事故の関係が明らかになってから、第1面には自殺記事を載せないことにした新聞社もあるほど、意味のある研究でした。
自殺に関する研究と誘拐事件は別のものです。
でも、誘拐事件、猟奇殺人事件などをテレビのトップニュースで流れているのを見るにつけ、僕は心配に思うんです。これを犯罪者予備軍の人たちが、どういう思いで見ているのか。
報道という刺激の受け止め方は一様ではなく、人によって違うことを報道関係者や政策担当者の皆さんに意識していただきたいと思います。

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